犬公方

表題だけで今日の〝主役〟が誰か、もうお分かりですょネ。 そう、

 徳川 綱吉

今日・1月10日は、30年近くにわたり江戸幕府のトップに君臨した、第5代将軍の命日にあたります。

家康の曾孫、2代将軍・秀忠の孫、3代将軍・家光の四男、そして4代将軍・家綱の弟という徳川家直系の文句ない血筋を持ち、1646(正保3)年に生まれた綱吉は早くも5歳にして15万石を拝領し家臣団をつけられ、7歳で元服して従三位中将となります。

どこかの国の親子による権力継承よりも凄いですねェ。あせあせ

1680(延宝8)年5月に家綱が死去すると、彼に継嗣がなかったため第5代将軍の座に。

先代に仕えた大老・酒井忠清をクビにして、自らの将軍就任に功のあった堀田正俊を後任に抜擢すると、元来学問好きだった綱吉は文治征政治を推進・・・自ら幕臣たちに四書・易経を講義したり、湯島大聖堂を建立し学問の聖地とするなど、将軍在位当初は 『天和の治』 といわれ、善政を行ったとされています。

しかし一般的には、綱吉は〝ヒール(悪)役〟のイメージが強いのではないでしょうか?

その原因は何と言っても、『忠臣蔵』。

松の廊下で刃傷に及んだ浅野内匠頭を、朝廷に対する面目を潰されたと激怒してその日のうちに切腹させ、仇討ちを果たした赤穂浪士四十七士をも切腹させたことでしょう。

            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-徳川 綱吉

そもそもケチの付き始めは、頼りにしていた堀田正俊が彼自身のいとこだった若年寄・稲葉正休に暗殺されたことだったかもしれません。

この後綱吉は大老を置かず、老中を遠ざける一方で柳沢吉保ら側用人を重用するようになりました。

この直後に発布され、彼が63歳で亡くなる1709(宝永6)年1月10日まで施行された 『生類憐れみの令』 こそが、悪政の象徴として有名です。

この政令が発布された動機は諸説があり明確ではありませんが、当初は 「殺生を慎むべし」 という道徳的な趣旨だったとか。

しかしこれを守らない人々が多かったため徐々に内容が厳しくなり、保護対象(?)が犬はおろか猫・鳥・虫の類までに及び、犬を虐待した者を密告した場合には賞金を出すまでにエスカレート。

更に在位中に起きた元禄の大飢饉(1695~6年)では、餓死者が続出する中で (現在の中野サンプラザ近くに作った小屋に収容された) 8万匹の犬には十分な食糧を与えるという本末転倒ぶり。

これでは人間様は堪ったものではありません。

この政令は綱吉の死後即座に廃止されたそうですが、江戸ではそれまでの鬱憤を晴らすように犬を蹴飛ばす町民が続出したとか・・・まぁ、その気持ちは分からぬでもありまぜん。

しかしこの政令・・・よくよく考えてみると、現在の 『動物の愛護及び管理に関する法律(動物愛護法)』 に似ているんですょネ。

同法第27条はには、こう記されています。

① 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、1年以下の懲役又は

   100万円以下の罰金に処する。

② 愛護動物に対し、みだりに給餌又は給水をやめることにより衰弱させる

   等の虐待を行った者は、30万円以下の罰金に処する。

③ 愛護動物を遺棄した者は、30万円以下の罰金に処する。


④ 前③項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。

 1.牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、家鳩及びアヒル

2.前号に揚げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類

   又は爬虫類に属するもの


その当時とは違い、さすがに犬を虐待死させたら打ち首なんてことはありません・・・が、逆にペットにはヒレ肉などの上質な餌を与えてブランド物の服を着せ、亭主のお小遣いは1日500円だけ・・・な~んて元禄時代そのまま(?)のご家庭、ありませんか?うー

犬公方様も、もしペットが大事にされる現世に在りせば〝名君〟と言われたかも・・・やはり彼は生きた時代が良くなかった?



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10680611985.html?frm=themeより引用させて頂いております。