
犬嫌い
戌年生まれの私は、犬好きなんですが・・・今日は、それとは真逆で大の犬嫌いだった有名人の命日にあたります。
といっても、かなり昔の方なのですが・・・その人の名は、
勝 海 舟
勝麟太郎(幼名)は旗本小普請組だった父・小吉の三男として、1823(文政6)年に江戸・本所に生まれました。
剣術に秀で、直新影流の免許皆伝の腕前であったと同時に、蘭学修業にも明け暮れた文武両道の若者でした。
ちなみに私はこの勝海舟が大好きなんです。
それは1974年に放映されたNHK大河ドラマ 『勝海舟』 の影響が大。
冨田勲氏が作曲したこのドラマのテーマ音楽は個人的に大河ドラマの中で最高の出来だと思っていますし、ドラマの中で渡哲也さん演じる勝海舟が寝る間を惜しんでオランダ辞書 『ズーフ・ハルマ』 を2部筆写し、生活費に充てるため1部売ったという逸話に、ちょうど大学受験を控えた高校生だった私は大感動。
勉強のモチベーションが猛烈に上がったものです・・・が、所詮は短気な私。
その燃える気持ちを維持できたのは、ほんの1ヶ月程でしたけど。
1853年、ペリー率る黒船が来航。
幕府が広く意見を求めた際、勝が提出した海防意見書が老中・阿部正弘の目にとまったことが、大きく彼の運命を開きます。
長崎の海軍伝習所に入門した彼は、得意のオランダ語で教監として5年程活躍した後、1860年に日米修好通商条約を批准する使節団の一員に選ばれ、福澤諭吉・ジョン万次郎らと共に咸臨丸に乗り組み渡米。
帰国後軍艦奉行となり神戸に海軍塾を作るなどしましたが、「日本の海軍をつくるため」として薩摩・土佐藩士など分け隔てなく人材を受け入れたため幕府の保守派から反発を買い、軍艦奉行を罷免され2年間の蟄居を命じられるという挫折を味わいます。
しかし1868年、官軍の東征が勢いを増し江戸に危機が迫ると、幕府は勝を陸軍総裁に任命。
山岡鉄舟に下交渉をさせた後、あの有名な西郷隆盛との単独交渉の末に江戸城を無血開城、150万人もの江戸町民の生命・財産は守られました。
明治維新後は旧幕臣の代表格として明治政府でも要職を務め伯爵にも叙されましたが、生涯をかけて徳川慶喜の復権に尽力したことも知られています。
幕末のヒーローといえば、多くの方が坂本龍馬の名を挙げますが、彼の師こそは勝海舟であり、その行動規範は師匠の教えが元になっていることも隠れた事実。
晩年息子に先立たれるなどの不幸に見舞われた海舟は、1899年1月21日・・・脳溢血により75年の生涯に幕を閉じました。
幕末~明治の激動期に日本を支えた幕臣のご冥福を、あらためて祈りたいと思います。
えっ、犬嫌いの話はどうなったんだ・・・って?
おっと、これは失礼。
実は海舟の犬嫌いは、彼が9歳の頃に遡ります。
道で狂犬に襲われて睾丸を噛みつかれ、約2ヶ月も生死の境を彷った経験があったのだそうな。
後年、彼は「暗殺者よりの犬の方がよっぽどおっかねェ。」 と語ったといいますから、かなりのトラウマになっていたんでしょうネ。
日本を支えた大人物が、道端でスピッツにキャンキャンと吠えられただけで真っ青になって逃げ回る姿・・・想像しただけで面白いですょネ。
人間、誰にでも弱点はあるようです。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11048620433.html?frm=themeより引用させて頂いております。

