独 占

2009-02-06 07:07:07
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今年も始まった『札幌雪まつり』・・・今から37年前の今日、その札幌で日本中が大騒ぎになった出来事がありました。

トワ・エ・モワの名曲・『虹と雪のバラード』が街に流れる中開催された1972年・札幌オリンピック。 

その大会4日目の2月6日・・・70m級ジャンプで、笠谷幸生・金野昭次・青地清二の3選手が金・銀・銅メダルを獲得したのです。扇子

それまで日本が冬季五輪で獲得したメダルは猪谷千春氏の銀メダル1個のみでしたから、一度に3個のメダルを獲得したことが如何にスゴい事だったかは、想像に難くありません。

おそらく夏・冬合わせても、五輪の個人競技で日本人が表彰台を独占することは、今後まず有り得ないことでしょうネ。

          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-ジャンプ メダル独占

              <左から金野・笠谷・青地選手>

前回のグルノーブル五輪で、メダルはおろか入賞さえできなかった日本。 4年後の地元・札幌での開催に合わせて、各競技は強化策に躍起になったといいます。

その中でジャンプ陣は、海外でジャンプ理論を学んだ笠谷昌生コーチを中心に、当時まだ珍しかった8ミリ映写機でフォームを分析、最も遠くへ飛ぶことのできるフォームの研究を続け、異例の年100日以上にわたる合宿・海外遠征をも敢行したそうです。

エースの笠谷幸生選手は、笠谷コーチの実弟。 4歳のころからジャンプを始め、中学3年の頃には社会人に交じって飛んでいた逸材。

〝V字飛型〟が全盛の現代と違って、この当時は左右のスキーを平行に保つフォームが当たり前でしたが、中でも笠谷選手は「世界一美しい飛型」と定評がありました。

0.3秒で決まるサッツ(踏み切り)を正確に行うため、笠谷選手は大好きだった野球におけるキャッチャーの素早い送球動作から、助走でのクラウチングスタイルを考案したのだとか。驚き顔 ヘェ~

前年のプレ五輪で圧勝した笠谷選手にかかるメダルの期待は、おそらく現代の選手には考えられないほどのプレッシャーだったでしょう。

それに打ち勝ち、見事金メダルを獲得した笠谷選手、それに続いた金野・青地選手の活躍は、それこそ国民栄誉賞ものでした。

    
          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-笠谷幸生

            〝さぁ笠谷・・・金メダルのジャンプ!〟

その後しばらくはジャンプ王国として君臨していた日本ですが、1998年・長野五輪以降はルール改正の影響もあり、現在は鳴かず飛ばずの状況が続いています。

来年・2010年のバンクーバー五輪で、再び冬空に君が代を響かせることができるかどうか・・・〝日の丸飛行隊〟の奮起を期待しましょう!笑2

     

こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10187445296.html?frm=themeより引用させて頂いております。