独眼竜

表題だけで、今日取り上げる人物が誰かは、もうお分かりですょネ。

安土桃山時代から江戸時代にかけて活躍した戦国武将にして、初代仙台藩主

 伊達藤次郎政宗

今日は、東北の生んだ名将の命日にあたります。

伊達政宗というと、私は24年前の1987年に放映されたNHK大河ドラマ 『独眼竜正宗』 で熱演した若き渡辺謙さんのイメージが強烈。

映画 『ラスト・サムライ』 は明治維新の時代設定なのに、彼の演じる勝元は伊達政宗にダブッて見えました。

藤原鎌足を家系のルーツに持つ伊達家第16代当主・伊達輝宗の嫡男として1567(永禄10)年に生まれましたが、幼少時に天然痘を患ったために右目を失明してしまいます。

戦国武将として、秀吉・家康らと互角に渡り合う器量・教養は、幼少時より禅僧・虎哉宗乙に師事したことが大きかったようです。

(その幼少時、養母・喜多に不動明王について教えられた政宗が、「梵天丸(※幼名)もかくありたい。」 と言うシーンが 『独眼流政宗』 で流され、その年の流行語になりました。)

早くも15歳で初陣を飾った政宗の器量を見抜いた父・輝宗は、自身がまだ41歳だったにも関わらず家督を譲り、政宗は18歳で第17代伊達家当主となりました。

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父の代までは他国から領地を守るのが精一杯でしたが、政宗は積極的に戦を仕掛けて領地を拡大、秀吉の傘下にあった蘆名氏とも交戦(摺上原の戦い)しこれを撃破・・・会津地方を制覇し仙台を中心に東北一帯を押さえたものの、秀吉と対立することとなります。

父の代から同盟関係にあった北条氏を攻める秀吉にどう対処するか?・・・迷った末に政宗は秀吉に恭順することを決定。 小田原に出立する前日に自分を毒殺しようとした母親を追放し、実弟・小次郎を斬殺。

その後は朝鮮出兵にも参加するなどしましたが、謀反の嫌疑をかけられるなど幾度かあった存亡の危機を巧みにかわして生き残ります。

そして秀吉の死後は家康に接近し、家光には父親代わりのように慕われたといいますが、内心では常に天下盗りを画策していたといわれる政宗・・・江戸幕府打倒を画策して支倉常長をローマに派遣するなどしましたが、もし〝地と時の利〟がありせば、それを実現できるだけの器を持っていたのではないでしょうか?

正室の他に側室が7人、14人もの子をもうけ、和歌を始め茶道・書道・能、さらには戦国武将としては極めて稀な料理をも嗜んだという、実に濃密かつ波乱万丈の人生を送った政宗が亡くなったのは、1636(寛永13)年5月24日、70歳の時でした。

派手な振る舞いで 「伊達男 」という言葉を残したばかりか、ハリウッド映画 『スターウォーズ』 のダース・ベイダーのマスクは、彼が用いた「黒漆五枚胴具足」の兜をモチーフにしたものだとか。驚き顔 ヘェ~


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没後400年近く経った今でも多方面に影響を及ぼす独眼竜・・・恐るべし!

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10804280984.html?frm=themeより引用させて頂いております。