独立自尊

2月3日は 『節分』。  

1年前の拙ブログで〝豆まきのお作法〟をご紹介させていただきました。

今夜ご家族で豆まきをされる方は、こちらを是非ご覧になってくださいネ。(

   < http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20090203.html

          節分     節分     節分     節分

さて、皆さんのお財布の中にこの方の肖像画が何枚か入っていらっしゃるでありましょう、

 福沢 諭吉 先生

今日はこの慶應義塾の創設者にして、日本最高の啓蒙思想家といわれる偉人の命日にあたります。

1835(天保5)年、中津藩士・福沢百助の次男として大阪で生まれた諭吉は、意外にも子供の頃は読書嫌いだったそうですが、14,5歳の頃からは俄然学問に目覚め19歳で長崎に遊学、蘭学を学びます。

その後大阪に出て適塾に学び、22歳で塾頭を務めた後江戸に出て、築地にあった奥平家の中屋敷で蘭学を教えたのですが、この蘭学塾が後の慶應義塾の基礎となりました。

しかし1859(安政6)年、横浜に見物に行った折に英語が主流として使われていたことに衝撃を受け、以来独学で英語を習得、翌1860(万延元)年に軍艦奉行・木村摂津守の従者として咸臨丸に同乗し、渡米を果たしました。

(※この時指揮官を務めていたのが勝海舟でしたが、どうもこの両人・・・あまり仲は良くなかったようです。)

アメリカの異文化に触れ様々なカルチャーショックを受けた福沢先生は、帰国後辞書を出版する傍ら、自らが主宰する蘭学塾を英学塾に転換。

その後渡欧・再渡米を通して洋学の普及が日本にとって急務であると痛感した先生は、慶應義塾の創設や数多くの書物を出版することにより、その想いの実現に尽力したのです。

            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-福沢諭吉

推定25万部が発行され、日本初のベストセラーといわれる 『西洋事情』、また『文明論之概略』 などによって国民の多くが西洋文化に触れることができましたが、やはり福沢先生を代表する著作は、『学問のすすめ』 でしょう。

全17冊に及ぶ大作は延べ340万部も売れたといわれ、当時の国民10人に1人が読んだ勘定になる空前絶後の大ベストセラーとなった同書の冒頭、


「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」

はあまりに有名ですネ。

この一節があるために、この著作の主題が 「人間の平等」 であるかのように思われがちですが、私はそのあとに続く文言こそが重要だと思うのです。

「人は生まれながらにして貴賎上下の別はないが、ただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人・富人となり、無学なる者は貧人となり下人となる」

つまり勉強しなければ、人として高みに登れないことを端的に言い表している・・・だからこその 『学問のすすめ』 であると。

それが福沢先生の残した名言、〝独立自尊〟= 「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、これを独立自尊の人と云ふ」・・・現代風にいうならば 「自己(責任)の確立」 に繫がるのだと思います。

男女平等を主張し封建制度を嫌悪した最先端の思想家であった福沢先生は、生涯を通じて妻・錦以外に女性を知らなかったという、島田紳助氏が聞いたらひっくり返るであろう、清廉潔白を絵に描いた男性でもあったとか。

1901(明治34)年2月3日、脳出血により66歳で逝去された偉人にして聖人・福沢先生のご冥福を、塾員の端くれとして心よりお祈り致します。笑3




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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10397042982.html?frm=themeより引用させて頂いております。