猛 女

淑女、才女、女王、女傑、熟女、貴婦人etc・・・ 女性を表現する言葉は多々ありますが、「猛女」 というと、私はこの人の顔が真っ先に思い浮かびます。


 江 青 女史


若い方はご存じないかもしれませんが、中国を代表する政治家・毛沢東氏の妻にして、また文化大革命における 「四人組」 の一人として有名です。

1914年に中華民国・山東省に生まれた彼女は17歳で結婚したのですが、僅か2ヶ月で別離。 

その後交際した男性の影響で共産党に入党するのですが、その彼が政府に逮捕・死刑宣告を受けたため上海に転居・・・そこで女優活動を始め、社交界で有名人となります。

当時の写真を見ると、確かに美人。(

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-江青2

20歳の時に映画監督の唐納と2度目の結婚をするも、またもや数ヶ月で関係は破綻。 夫が2度も自殺未遂を計るなど泥沼状態になり、3年後にやっと離婚が成立。


その後彼女は中国共産党の本拠地・延安に移動・・・そこで毛沢東氏と知り合い、25歳と45歳の二人は恋に落ちます。

しかし当時の毛沢東氏は3人目の夫人と所帯を持つ身で、完全な不倫関係。

結局夫人とは離婚が成立し2人は結婚を果たしますが、周恩来氏らの側近達はスキャンダラスな江青女史との結婚を反対し、彼女を政治の表舞台に出さないことを結婚の条件として提示したそうですが・・・結局それは反故にされることに。

1949年に中華人民共和国が建国され毛沢東氏は主席の座に就きますが、彼の女癖の悪さから夫婦関係は破綻。

彼女をなだめるためにファーストレディーとしての政治活動を黙認せざるを得なくなり、抑えが効かなくなっていきます。

1966年から始まった文化大革命には 「四人組」 の一人として活(暗?)躍、京劇などの伝統芸能を排斥。

そして自分に劣等感を感じさせる女性を徹底的に弾圧し、女優だった周恩来氏の養女を死に追いやるなどしました。

さらには鄧小平氏を失脚させ、周恩来氏本人までも排斥しようとしたものの、夫・毛沢東氏が死去したことで彼女の命運は尽きます。

1976年1月に亡くなった周恩来の葬儀で帽子すら脱がなかった不敬で国民の不興を買った彼女は、同年に毛氏が死亡した直後に他の四人組メンバーと共に逮捕され、裁判で死刑判決を受けます。

私が彼女に 「猛女 」という印象を強烈に抱いたのは、その人民裁判の時の様子を見たからでした。() 

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-江青3

法廷台に立たされた彼女が、警吏の制止を振り切りメガネを歪めて自らの主張を絶叫する場面をニュース映像で見た時、その剣幕の凄まじさに思わず後ずさり。

もしかしたら、私が女性に恐怖心を抱いた最初の瞬間だったかも。うー

2枚の写真を見比べると・・・人間、変われば変わるものですねェ。

後に無期懲役に減刑されたものの、1991年5月14日に獄中で首吊り自殺を遂げ、77歳の人生に自ら幕を引いた彼女・・・部屋の中に残された古新聞の片隅には、

「毛主席 あなたの生徒 あなたの妻が 今・・・会いに行きます。」

という遺書が残されていたとか。

果たして毛沢東氏は、この4番目の妻との再会を喜んでいるのでしょうか?

もしかしたら、あの世で逃げ回っていたりして・・・。ダメだぁ顔



                ペタしてね









こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10460392971.html?frm=themeより引用させて頂いております。