王 妃


私が中学生時代の1972~3年に、爆発的な人気を博したレディス・コミックの名作・『ベルサイユのばら』

当時クラスの女子が「〝ベルばら〟が、どうした、こうした」 とキャーキャー言いながら皆で回し読みしていたのを覚えていますが、この物語に架空の人物・オスカルと共に主人公として登場するのが、

マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ドゥ・ロレーヌ・ドートゥリシュ

Marie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d’Autriche


今日・10月16日は、この〝悲劇の王妃〟の命日にあたります。

1755年、父=神聖ローマ皇帝フランツ1世と母=オーストリア大公マリア・テレジアの第11女として生まれたマリーは、幼少期は音楽に興じながら何不自由ない優雅な日々を送ったといいます。

そんな彼女の運命を大きく変えたのは、母マリア・テレジアの策謀でした。

当時のオーストリアは外交政策上フランスとの同盟関係を結ぶ必要があり、その一環として彼女はフランス国王・ルイ15世の孫ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)とマリーとの政略結婚を画策。

当初この結婚はオーギュストの父親から反対されましたが、彼が死去したことで一気に話が進み、1770年・・・マリーが14歳の時に豪華な結婚式が挙行され、彼女は殆どフランス語が話せないままヴェルサイユ宮殿に入ることとなりました。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-マリー・アントワネット

宮殿入りしたマリーは、程なくルイ15世の公妾であったデュ・バリー夫人と対立・・・宮廷内を双方の支持派で真っ二つに割る程の険悪な雰囲気に。

そして1774年、夫がルイ16世として国王に即位しフランス王妃となりましたが、夫との性格の不一致や子供が長くできなかったことなどが原因で、夫婦仲はお世辞にも良好とはいえなかったようです。

そして自身の享楽的な性格もあいまって、彼女はそのストレスを浪費や舞踏会で晴らしていたといわれます。

ただ、伝えられるように 「マリーの浪費が国の財政を破綻させた」 という事は金額的に有り得ないことであり、また有名な 「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない。」 というセリフも、彼女自身の言葉ではなかったようです。

現在では彼女に対する批判や中傷の殆どがデマであることが判明しているそうで、革命前に貧困と飢餓で苦しんだ国民たちの怒りの矛先が、派手な暮らしぶりの彼女に集中的に向けられてしまった・・・というのが真相とのこと。

1789年に起こったフランス革命により、ルイ16世一家は他の貴族たちと同様亡命を企てますが、大きな馬車に膨大な家具・ワインを積み込んだがために逃げ遅れ、その後一家はタンブル塔に幽閉されます。

そして革命裁判により国王共々死刑を宣告されたマリーは、38歳の誕生日を半月後に控えた同年10月16日・・・ギロチン台の露と散ったのです。 

(ちなみに、ダイアナ妃が亡くなったのは37歳の時でした。)

国家安泰のため、母の言いつけで14歳にして国際結婚させられたマリー・アントワネット・・・「お互いに愛し合ってさえいればいいの!」 と自分の意思だけで結婚できる現代女性の目に、彼女の生涯はどう写るのでしょう。

貴女がもし14歳のマリーだったら、ベルサイユ宮殿に行きますか?あせあせ


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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10576766142.html?frm=themeより引用させて頂いております。