病 魔

今日・10月12日は、女流作家・三浦綾子さんの命日にあたります。


朝日新聞の懸賞に応募し、無名だった三浦さんが入選して当時としては破格の1千万円の賞金を手にしたことは大きな話題になったそうですが、同紙上で連載が始まったのが1964年のことですから、若い世代では彼女の名前を知らない方も多いかもしれません。

作家としては、その入選小説・『氷点』以外に有名な作品があまり見当たらないとしても、私は人間・三浦綾子さんの生き方そのものに深い感銘を覚えるのです。

『小さな人生論・3』(致知出版社)から、三浦さんの生き様の一端を抜粋・編集にてご紹介致します。

          ◇     ◇     ◇     ◇

三浦さんの人生は難病の連続だった。


24歳で突然高熱に倒れたのが発端で、その後13年に及ぶ肺結核との闘病が始まった。 当時、肺結核は死に至る病であり、入退院の繰り返しの中で三浦さんは自殺未遂も起こしている。


さらに悲惨が重なる。 脊椎カリエスを併発。

ギプスベッドに固定され、動かせるのは首だけで寝返りもできず、来る日も来る日も天井を目にするのみ。 排泄も1人ではできず、全ての世話はお母さんがした。


そんな生活が4年も続いたとは想像を超える。


そこに1人の男性が現れて結婚を申し込む。 光世さんである。

その日から薄紙を剥ぐように快方に向かい、2人は結婚する。 

綾子さん37歳、光世さん35歳の時だった。

               ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-三浦綾子

そして 『氷点』 が懸賞小説に当選、作家への道が開ける。

しかし、その後も病魔はこの人を襲い続けた。

紫斑病、喉頭がん。 

3大痛い病といわれる帯状疱疹が顔に斜めに発症、鼻がつぶれる。 

それが治ったと思ったら大腸がん、そしてパーキンソン病。

次々と襲いかかる難病。 それだけで絶望し人生を呪っても不思議はない。

だが三浦さんは常に明るく、ユーモアに溢れていた。

「これだけ難病に押しかけられたら、普通の人なら精神的に参っていますね。」

と問いかけると、三浦さんは笑顔で答えた。

「神様が何か思し召しがあって私を病気にしたんだと思っています。

神様に贔屓にされていると思うこともあります。

特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと・・・いい気なもんですねぇ。(笑)」

誰の人生にも絶望的な状況はある。

だが、心が受け入れない限り、絶望はない。

同様に、誰の人生にも不幸な状況はある。

しかし、心が受け入れない限り、不幸はない。

三浦さんの生き方はそのことを教えてくれているように思う。

その三浦さんが、こんな言葉を残している。

「9つまで満ち足りていて、10のうち1つだけしか不満がない時でさえ、

人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言い続けるものなのだ。

自分を顧みてつくづくそう思う。

なぜ私たちは不満を後回しにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。」

          ◇     ◇     ◇     ◇

三浦さんの言葉の前には、ただただ頭が下がるのみ・・・。

数々の病魔に侵されながらも77歳まで生き抜き、1999年10月12日に天に召された、不屈の女流作家にして秀でた人格者のご冥福をお祈り致します。笑3

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10642567386.html?frm=themeより引用させて頂いております。