目 刺

2010-08-04 07:07:07
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〝メザシ〟と聞くと、私はすぐにこの方の顔が目に浮かびます。

 土光 敏夫

今日は、石川島播磨重工・東芝を再建し経団連会長・第二次臨時行政調査会長を歴任した、日本経済界にその名を残す辣腕経営者の命日にあたります。

1896(明治29)年、現在の岡山市に肥料仲買商を営む父の次男として生まれた土光氏は、女子教育向上に尽力し、独力で横浜に橘学苑を立ち上げた母親・登美女史の影響を強く受けて育ちました。

中学受験に3度失敗、東京高等工業学校(現・東京工業大学)に一浪して入学するなど苦学した土光氏は、卒業後「東京石川島造船所」に入社。

タービン製造技術を身につけ、現・東芝と共同出資による石川島芝浦タービン設立時に技術部長として出向、1946年に同社社長となります。

その時のモーレツな働きぶりで 「土光タービン」 と渾名された彼は、その実績を買われて経営危機に陥った石川島重工業に復帰、社長として陣頭指揮をふるい、再建に成功。

さらに1965年、やはり経営不振に喘いでいた東芝の社長に就任、こちらも見事再建してみせました。

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-土光敏夫

東芝に乗り込んだ際に、居並ぶ役員を一喝した言葉・・・

「社員諸君にはこれまでの3倍働いてもらう。

 役員は10倍働け。 私はそれ以上に働く。」

は、あまりに有名。

1974年には77歳で第4代の経団連会長に就任。

折からの石油ショックで揺らぐ日本経済の立て直しに奔走しましたが、「経団連は一切の政治献金を停止する」 と宣言、政界と真っ向対決する気概も見せました。

そして土光氏の最期の活躍の場は、85歳の時に訪れます。

ロッキード事件による政治不信、赤字国債の乱発により行き詰まった財政再建の切り札として、「第二次臨時行政調査会」 の会長に就任。

『今やらねば日本は自殺する。』

大変な危機感を持って、天下り等の政・官・財界の癒着解消や莫大な赤字を抱える国鉄民営化問題の解決に尽力されました。

その頃、奥さん共々メザシや菜っぱなどの質素な食卓を囲む質素な生活ぶりがテレビで紹介され、国民から絶大な支持を得たことは、未だ記憶に新しいところ。

(この〝メザシご飯〟・・・ヤラセだとか、一匹500円以上する高級品だった等の指摘もありますが、それくらいは笑って聞き流しましょう。)あせあせ

しかし土光氏の 「増税なき財政再建」 も、最終的に政府が増税を決定したことにより志半ばで頓挫。

それから四半世紀経った今の日本、当時と酷似していないでしょうか?

国鉄と日航の違いはあれど、財政危機や官僚の天下りは相変わらず。

1988年8月4日、老衰のため91歳で大往生を遂げた土光氏が、もし今も健在で 「事業仕分け」 を指揮していたら・・・思わずそんな幻想を描いてしまうのは、私だけではないかも。

〝人間の能力に大きな差はない。あるとすればそれは根性の差だ。〟

〝自分と他者を比較するな。比較は自分自身とだけやればよい。〟

いかにも明治の人らしい名言を残された経済界の大立者・土光氏のご冥福を、心よりお祈り致します。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10518453877.html?frm=themeより引用させて頂いております。