直球勝負

今年4月、試合前の練習中に突然倒れたまま帰らぬ人となった元巨人の木村拓也コーチ。

37歳だった木村コーチが嘗てプレーしていた広島カープに在籍し、そして彼よりも若い32歳でこの世を去った快速球投手・・・といえば、プロ野球ファンなら誰のことか、もうお分かりでしょう。

 津田 恒美 選手

今日・7月20日は、この〝炎のストッパー〟の命日にあたります。

1960年山口県に生まれた津田投手は、同県南陽工業高で1年生の時からエースとして活躍し春・夏の甲子園に出場。

卒業後、社会人野球の協和発酵を経て1982年にドラフト1位指名で広島カープに入団。 11勝を挙げて球団初の新人王に輝きました。

翌年から血行障害に悩まされましたが、世界初の中指靱帯摘出手術を受けて見事復活。 ストッパーに転向してカムバック賞を受賞します。

再び肩痛に見舞われスランプに陥ったものの、1989年には28セーブを挙げて再起、見事最優秀救援投手賞に輝きました。

三冠王を獲得した阪神・バースをキリキリ舞いさせ、また強烈な球威で巨人の主砲・原選手の左手首を砕いた勝負は、今でも広島ファンの語り草となっています。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-津田恒美

巨人ファンだった私にとっては実に小憎らしい存在だった津田投手でしたが、1990年後半から体調不良に悩まされます。

91年のキャンプ中、頭痛に悩まされながら練習する津田投手をみて、チームメイトは病院に行くことを勧めますが、彼は 「練習を休んだら二軍に落とされる。」 と頑なにそれを拒否。

しかし開幕直後の試合に登板しKO (※最後の対戦打者は、奇しくも原選手) され、その翌日に検査入院・・・そして手術不可能の悪性脳腫瘍が発見されたのです。

同年に引退し治療に専念、一時は驚異的な回復を見せたものの、病魔は彼の体から去ることはなく・・・1993年7月20日、天に召されました。

剛速球を投げ込む姿とは対照的に気弱な面があり、〝弱気は最大の敵〟と書いたボールを常に持ち歩いていたエピソードは有名で、その気持ちの優しさやひょうきんな言動から多くのチームメートやファンに愛された選手でした。

彼が亡くなった時はまだ小学校入学前の小さな子供であった1人息子・大毅クンは、今や東京国際大学野球部の4年生ピッチャー。

そして同大の監督は、父も広島カープでお世話になった名監督・古葉竹識氏・・・親子2代、同じ監督の下で白球に青春を賭けています。

これも亡き父が結びつけた縁なのかもしれません。

息子・大毅クンの今後の活躍を期待しつつ、〝炎のストッパー〟のご冥福をお祈り致します。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10506723336.html?frm=themeより引用させて頂いております。