種まく人

2009-04-25 07:07:07
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私が子供の頃は今ほど沢山の出版社があったわけでなく、たまに真面目な本を読もうとすると、「岩波文庫」や「岩波新書」を手に取る事が多かったような気がします。

『ゼロの発見』 なんて、子供心に結構ワクワクしたものですが・・・今日はこれらの出版元である岩波書店の創立者・岩波茂雄の命日にあたります。

1881(明治13)年に長野県諏訪郡に農家の長男として生まれた茂雄氏。 

現・諏訪清陵高校在学時に父親が死去したため家督を継ぐも、勉学への思い断ち難く18歳の時上京。 1905(明治38)年には東京帝大哲学科に入学します。


東京の第一高校在学時に、同窓生・藤村操の自殺に影響を受け、40日間も野尻に浮かぶ島に閉じこもって試験を受けず中退処分を受けたり、大学卒業後に女学校の教師となるも教育熱心なあまり学校当局と軋轢が生じた挙句に自信喪失で退職するなど・・・岩波氏は非常に真面目で繊細な神経の持ち主だったようです。

そんな岩波氏が食べるために始めた商売が、古本屋でした。

最初は買い込んだ古本が僅かな量だったため、自らの蔵書や友人から借りた本で書棚を埋めて体裁を整え、客がそれらを手に取るたびに「買わないでくれ!」と冷や汗をかいたという・・・これが 『岩波書店』 のスタートでした。

彼は、それまで常識であった店頭でのお客との交渉販売を 「面倒くさい」 驚き顔 という理由でせずに、〝正価販売〟を行ったそうで・・・最初は殆ど売れなかったものの、岩波氏本人の本に関する豊富な知識もサービスとして役立ったこともあり、やがて商売は軌道に乗ったそうです。

そして古本屋から、新刊本の出版を考えた岩波氏・・・頼ったのは、あの夏目漱石でした。

               ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-岩波茂雄

人脈を頼って漱石の自宅を訪れ、新作の出版を懇願。 何とその時岩波氏は、その出版資金も漱石に出してくれるよう頼んだといいます。

しかしなぜか漱石はその依頼を受諾、『こころ』 を岩波書店から刊行されました。 その後漱石全集も岩波書店から出版され、売上げは順調に伸びていったのです。

長野出身のナイーブな哲学青年が、食べるために始めた古本屋からスタートした岩波書店は、関東大震災や太平洋戦争という厳しい時代を、「文庫本、★ひとつで○○円」 という分かりやすい販売方法を工夫するなどして、したたかに生き延びてきたのです。

日本文化・出版会への貢献が評価され、文化勲章も授与されました岩波氏でしたが・・・その直後の1946年4月25日、64歳でこの世を去りました。

岩波書店の出版物には、「種まく人」() のロゴマークがついていることは、皆さんもご存知でしょう

                  ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

これは、ミレーの種まきの絵をモチーフとして高村光太郎氏 (詩人・彫刻家) がエッチングしたものだそうです。

農家出身の岩波氏は、「労働は神聖である」 との考えを強く持ち、詩人ワーズワースの 「低く暮し,高く想う」 を社の精神としたい・・・という理念からこの絵を選んだとか。

様々な出版物が氾濫する現代ですが、岩波書店には創業者の理念を引き継いで、人々に〝知識の種〟を撒くべく、これからも良書を世に出し続けて欲しいものです。笑2


           

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10224583598.html?frm=themeより引用させて頂いております。