
続・プリンシプル
さて、昨日拙ブログにて取り上げました白洲次郎氏。
彼のような国際感覚溢れる人物は、いかにして醸成されたのか?
そのヒントのひとつが、白洲氏に関する著作に描かれていました。
◇ ◇ ◇ ◇
留学先・ケンブリッジ大学での白洲氏は、有名な経済学者ケインズも教鞭を取るなど、まさに優秀な教授陣に囲まれ、様々な知識を吸収していった。
(“電子”の発見で有名な)J・J・トムソンという優れた物理学者のクラスで試験を受けた時のこと。
授業を徹底的に復習していた彼は、試験結果に自信を持っていた。
ところが返ってきた点数を見てガッカリした。 案に相違して低かったのだ。
不満げな顔のまま答案を仔細に眺めてハッとした。 そこには、
“君の答案には、君自身の考えがひとつもない”
と書かれていたのだ。
頭のてっぺんから足先までビリビリッと電気が流れたような気がした。
(これこそ、オレが中学時代疑問に思っていたことの答えじゃないか!)
痛快な喜びがこみ上げてきた。
テストの成績が悪かったことなどどこへやら、誰彼かまわず握手して回りたい気持ちだった。
(よし、やってやろうじゃないかっ!)
次の試験では自分の意見を存分に書いて高得点をもらった。
英国で学ぶことの幸せをかみ締めることのできた瞬間だった。
当時のケンブリッジでは試験の得点だけでなく、何回食堂でチューター (指導主任) と食事を共にしたかも卒業の条件となっていた。
食事の時間を通じてマナーを身につけさせようとしたのだ。
また教授たちは講義を始める前、必ず生徒に向かって “gentrlemen ” と呼びかけたという。
次郎はこの言葉を聞くたび、自分たちは自由であると同時に紳士しての規律を求められているのだ、ということを噛み締めた。
<白洲次郎 占領を背負った男(北康利・著) より>
◇ ◇ ◇ ◇
若い時の教育がいかにその後の人生に影響を及ぼすかを、如実に示していますょネ。
少年時代は手のつけられないガキ大将だった白洲氏が、なぜ〝プリンシプルなる紳士〟へと成長できたのか?・・・その理由が伺えます。
日本では〝3+2=□〟という問題を解かせますが、欧米は〝□+□=5〟で複数の回答を引き出す教育法だ、ということも耳にします。
受験重視・はめ込み型の日本式教育では、彼のようなダイナミックな人材が生まれにくいのは明らか・・・このままで本当に良いのでしょうか?
〝人生〟という難題には、いくつもの答えが必要するのに・・・。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10660493573.html?frm=themeより引用させて頂いております。

