美 食

2010-12-21 07:07:07
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〝グルメな日本人は?〟と聞かれたら、皆さんは誰を思い浮かべますか?

お会いした事はありませんが、私なら何故かこの方の名を真っ先にあげます。


 北大路 魯山人 氏

今日・12月21日は、20世紀前半に活躍したこの芸術家・美食家の命日にあたります。

1883年に上加茂神社の社家・北大路家に生まれた彼は、6歳の時に木版師・福田武造の養子となり、10歳で尋常小学校を卒業してすぐに丁稚奉公。


しかし20歳で書家になるべく上京、早くも翌年の日本美術展覧会で1等賞を獲得して頭角を表します。


その後中国へ遊学し帰国した後、長浜の素封家・河路豊吉氏に食客として招かれて書・篆刻(てんこく)の制作に打ち込む環境を提供された北大路氏は、そこで多くの芸術家との交流を深めました。


1915年に福田家の家督を長男に譲ると北大路姓に復帰、更に陶芸・美食の世界に見識を深めると、1921年に会員制のサロン 『美食倶楽部』 を創設。


自ら制作した食器を使い、手料理を振舞うなどしました。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-北大路 魯山人

1925年には永田町に会員制高級料亭 『星岡茶寮』 を、そして終戦直後の1946年には銀座に 『火土火土美房』 を開店。


その後はロックフェラー財団の招きによって欧米各地で講演・展示会を行い、1955年には人間国宝の指定を受けますが、これを辞退。


1959年12月21日に肝硬変で76歳にて逝去するまで、数多くの作品を世に残しました。


私が生まれた翌年に亡くなっている北大路氏のイメージは、人気コミック 『美味しんぼ』 に出てくる海原雄山。

彼は同名の 『美食倶楽部』 を運営する、北大路氏の孫弟子という設定。

料理に対する拘りと知識の深さは当代一流、そして性格は頑固一徹なのですが・・・本物の北大路氏はその雄山を遥かに凌ぐ〝変人〟だったようです。


母親の不貞によってできた子供だった故にすぐ里子に出され、福田家の養子になるまで居場所を点々としたことが、彼の人格形成に大きく影を落としたのかもしれません。


梅原龍三郎、横山大観、そしてピカソら当代一流の芸術家を遠慮なく罵倒するなど、傲岸不遜な物言いで不評を買うことも幾度・・・それが原因で星岡茶寮のオーナーから追放されたこともありました。


家庭の温かさに飢えていながら、6度に及んだ結婚は全て破綻。

息子2人は夭折し、娘も勘当し自らの病床にも呼ぶことさえなかったとか。


当代一流の美食家でありながら、多くの庶民が経験している 「家族団欒の食卓」 の温かみを味わう事ができなかったのは、皮肉としか言いようがありません。


本日は北大路氏の教えに従って納豆を計424回かき混ぜつつ、ご冥福を祈りたいと思います。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10656661619.html?frm=themeより引用させて頂いております。