美しきチャレンジャー

2009-11-20 07:07:07
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1971年に美人ボウラーを主人公にした 『美しきチャレンジャー』 というTVドラマが放映されたのですが、ご存知の方はどれくらいいらっしゃるでしょう?

高度経済成長期の1960年代後半、庶民の間にレジャー志向が強まる中で爆発的なブームとなったのが〝ボーリング〟でした。

私の郷里・長野にも、100レーン以上を有する巨大ボウリング場が田んぼの真ん中(?)に出現し、プレーするのに2時間以上待ちなんて当たり前という、今からは信じられない狂乱状態でした。

そのブームの火付け役となったのが、美人女子プロボウラーの存在。

女子プロボウラーとして初めてパーフェクトゲームを達成した中山律子プロと並んで活躍したのが、

 須田 開代子 プロ

実は今日・11月20日が、彼女の命日なのです。

1938年生まれの彼女が第1回女子プロテストに合格し、日本国内初の女子プロボウラー (ライセンスナンバー1番) になったのは、1969年のこと。

彼女と同期の前述・中山プロや並木恵美子プロらは、テレビに引っ張りダコ。

毎週のように〝華麗なる戦い〟をブラウン管の中で繰り広げてくれました。

        
              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-須田開代子

彼女たちの活躍に触発され、私もご多分にもれずボウリングに熱中。

1日に5ゲーム以上やって、翌日右手の握力がなくなり箸をうまく持てなかったことを覚えています。

しかしこのブームは、1973年の石油ショックによって、アッという間に下火となってしまいました。

巨大ボーリング場は次々に閉鎖、TV中継も打ち切られ・・・プロボウラーが賞金だけで食べられる時代は過ぎ去ってしまったのです。

そんな中、ボウリング存続のため孤軍奮闘したのが須田プロでした。

主婦を中心とした女性にボウリングを楽しんでもらおうと、ボウリング場経営者・支配人との面談やスポンサー探しのために東奔西走。

そして1976年には「ジャパンレディースボウリングクラブ」(JLBC)を発足させ、初代会長に就任。 トーナメント開催やイベント運営にかかわり、ボウリングの普及に尽力されたのです。

男子プロボウラーとの結婚・出産そして離婚と、プライベートでも苦労を重ねた彼女・・・無理が祟ったのか、1985年には病魔に襲われ胃の2/3を摘出。

その後一旦は回復したものの1995年11月20日、57歳の若さで天に召されました。

1980年代以降ボウリングブームが何回か訪れ、そして現在でも〝P★LEAGUE〟などの女子ボウリングトーナメントが行われているのは、須田プロの献身的な活動があったからこそ・・・ではないでしょうか?

公式戦43勝を誇る、真の〝美しきチャレンジャー〟須田開代子プロのご冥福を、心よりお祈り致します。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10351604189.html?frm=themeより引用させて頂いております。