義の男

日本のTV史上、最高視聴率を出した番組は何か、皆さんはご存知ですか?


東京オリンピックの女子バレーボールの決勝戦?

う~ん、イイ線いってますが、残念ながらブブ~。 


昔の紅白歌合戦? 

惜しいっ! 確かに過去には80%以上の視聴率をマークしたことがあります・・・が、実はこれを遥かに上回る番組があったのです。

それは、意外にもボクシング中継でした。

私が生まれる前の1955年5月30日に日本で行われた世界フライ級タイトルマッチ・・・何と96.1%という数字が残されているのです。驚き顔 ス、スゴイ!

ただ当時はまだ一般家庭にテレビは普及しておらず、殆どが〝街頭テレビ〟だった故の怪記録だったのですが・・・この試合でタイトル奪還に挑んだのは、


 白井 義男 氏


今日は、日本人初の世界チャンピオンとなって敗戦で沈みがちな日本人を〝フジヤマのトビウオ〟・古橋廣之進氏と共に力づけてくれた、このプロボクサーの命日にあたります。

1923年、関東大震災直後の東京・荒川区に生まれた白井氏がボクシングにのめり込むキッカケは、何と小学校6年生の時に夜祭の余興でカンガルーとのボクシングに負けた事だったそうです。

(当時はそんな出し物があったんですねェ。 今もあるなら、是非一度やってみたいものですが・・・。)

1943年にプロデビューするや8戦全勝の快進撃を果たしますが、海軍に召集されキャリアは一時中断。


敗戦・復員後カムバックしたものの、戦時中に痛めた腰が良くならず引退寸前まで追い込まれた白井氏を救ったのは、一人のアメリカ人でした。

それはGHQ職員として、日本人の食糧事情改善指導のため来日していたアルビン・R・カーン氏。

カーン氏は、銀座のボクシングジムでトレーニング中だった白井選手を一目見て、その長い手足と優れたボクシング・センスを見抜き、熱心に彼のマネージャー役を買って出たのです。

そして過去における自らのスポーツ体験と専門分野の栄養学を駆使して、先進的な科学的コンディショニング作りとトレーニングを導入。

当時の趨勢だった単に殴り合うだけのファイトから、ガードを固めて正確にヒットする・・・つまり 「拳闘」 からスポーツたる 「ボクシング」 へと進化させたわけです。

               ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-白井義男とカーン博士

                 <カーン氏と白井選手>

二人三脚のトレーニングはめざましい効果を発揮し、白井選手は立て続けにフライ・バンタムの両級日本タイトルを獲得。

そして1952年にそれまでノンタイトル戦1勝1敗だったチャンピオン、ダド・マリノ(ハワイ出身)を判定で下し、念願の世界チャンピオン・ベルトを獲得して日本中を沸かせました。

タイトルを4度防衛した後、アルゼンチンのペレス選手に破れ、リベンジを期したリターン・マッチが冒頭にご紹介した驚異的視聴率を記録した試合だったのです。

しかし残念ながらこの試合で敗れた白井選手は引退を表明、その後も評論家や後進の指導などでボクシング界を支えました。

私自身は白井氏の試合を見たことはありません・・・が、ボクシング中継で解説をされていた白井氏の、小柄で温和な顔立ちながらも獲物を追う猛獣の如き鋭い目つきは、今でもよく覚えています。

2003年12月26日、肺ガンのため80歳でこの世を去った白井氏・・・ボクサーとしての功績は言うまでもありませんが、同時に人格者でもありました。

GHQ廃止後も日本に残りマネージャーとして白井氏をスター選手に育て上げ、また引退後も進路などでアドバイスをしてくれたカーン氏を家族の一員として遇し、生涯独身だった彼が認知症を患った後も亡くなるまで介護を続けたのだそうです。

実の親子でさえなかなかできない事なのに・・・頭が下がります。

そんな白井氏の築いたご家庭は、さぞや温かかったことでしょう。

その名の通り〝義の男〟であった白井氏のご冥福を、お祈り致します。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10667809908.html?frm=themeより引用させて頂いております。