語り部

政治家・国会議員の秘書は裏方として主を支える地味な仕事ですが、おそらく過去においてこの方ほど良くも悪くも目立つ秘書はいなかったでしょう。


 早坂 茂三 


今日は、〝コンピューター付ブルドーザー〟といわれた大物宰相・田中角栄氏を政策秘書として23年支えた〝大物秘書〟の命日にあたります。


早坂氏は1930年・函館生まれ。

終戦を多感な10代で向かえ、2浪して早稲田大学に入学。 

在学中は学生運動にのめり込んで共産党にも入党した経験があります。


そのせいもあってか卒業後はなかなか就職口がみつからず、結局小さな新聞社・東京タイムズの政治部記者となります。


しかし人間の運命は、どこでどうなるか分かりません。


ある時、田中角栄氏の発言をすっぱ抜いた早坂氏は、筋を通そうとわざわざ目白の田中邸に仁義を切りに行ったそうですが、それが縁となって徐々に関係が近くなり・・・1962年に田中氏が44歳で大蔵大臣になった時、彼から請われて政務秘書官に。

その後は有名な 『日本列島改造論』 の作成などに深く携り、自民党政治の中枢で田中氏を支え続けました。

              ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-早坂 茂三

しかし1985年2月に田中氏が脳梗塞で倒れた5ヶ月後に長女・真紀子氏から解雇を言い渡され、田中事務所は閉鎖。

その後は評論家としてTV出演や執筆業に勤しむことに。

「傲岸不遜が服を着ている」 と揶揄されたり、嘗ての同業者である新聞記者をバカ呼ばわりするなど圧倒的(?)な存在感を誇示した早坂氏でしたが、政治の中心に長く身をおいていた経験と知識は、それを差し引いても他の政治評論家の追随を許さぬものがありました。

一度ドラマに実力政治家の役で出演した時は、脚本家を 「並みの政治家より迫力がある。」 と感嘆させたこともあったとか。

かと思えば、68歳の時に因縁(?)の全日空機に搭乗した際、リクライニングシートを頑として元に戻さず結局飛行機から降ろされるという、相変わらずの気骨を見せたことも。

2004年6月20日、74歳の誕生日直前に肺ガンでこの世を去った早坂氏でしたが、氏の最大の功績は主人・田中角栄氏を中心とした昭和後期の自民党政治の内幕を、多数の著作によって後世に残したことだと私は思っています。

私の本棚には氏の著作が大抵揃っていますが、さすがは元新聞記者・・・どの本も実に読ませる文章、何度読み返しても飽きません。

           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-田中角榮

私が最も尊敬する政治家・田中角栄氏の実像を最もよく伝えているのは、多少の身贔屓があったにせよ早坂氏の著作をおいて他にないでしょう。

そして彼の文章から浮かび上がる田中元総理の見識・政治家としての器量・決断力は、現在の世襲議員たちなど束になっても敵わぬ事は一目瞭然。

官僚と敵対することばかりアピールする現在の政治家たちには、田中氏のように官僚を意のままに動かす手練手管を、是非早坂氏の著書を通して学んで欲しい・・・私は心底そう願います。

昭和後期における政界の語り部・早坂氏は、コロコロ首相が変わる現在の情けない政治情勢を、そして最後までその将来に期待を寄せていた小沢一郎氏の低迷ぶりを、草葉の陰からどんな思いで見ているのでしょうか?笑3

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10836202772.html?frm=themeより引用させて頂いております。