超売れっ子

2011-09-14 07:07:07
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今日・9月14日は、国宝・重要文化財に指定された作品を数多く残し、織田信長・豊臣秀吉に重用された代表的日本画家、

 狩野 永徳

の命日にあたります。

狩野派の祖といわれる狩野正信を曽祖父に、同派の技法・作風を確立し〝天下画工の長〟といわれた狩野元信を祖父に、そしてその元信様式を引き継いだ狩野松栄を父に持ち、1543(天文12)年に生まれました。

幼少期については不明ですが、9歳の時に祖父・元信に連れられて将軍・義輝に拝謁したと伝えられています。

こんな煌びやかな家系に生まれたら、私なんぞは重圧でグレるか家出してしまいそうですが、永徳は絵師としてのDNAが更に凝縮された人物のようで、23歳にして早くも代表作・『洛中洛外図屏風』 を描き上げています。


他に国宝に指定されているのは、『聚光院障壁画』 と、『唐獅子図』。

これ以外にも永徳筆と伝えられているところで、『檜図屏風』 があります。

        ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-唐獅子屏風図

写真に掲載した『唐獅子図屏風』 は、広げると縦222.8cm×横452cm もありますが、こういった大作だけでなく緻密な細画も残しており、画風の幅は非常に広かったようです。


ただ惜しむらくは、彼の活躍した時期が戦国時代真っ只中だったこと。


安土城・大阪城・聚楽第などの障壁画が全て焼失しており、我々が目に触れることができないのは本当に残念です。


秀吉らが威信をかけて建造したこれらの建物に描かれた大作・・・現在残っていれば国宝間違いなしだったでしょう。


これら城閣の他にも天皇家・宮家・寺院等々の障壁画を数多く手がけたようですが、とにかく当代随一の天才絵師だっただけに、引く手数多の大人気。


あまりの引き合いの多さに、納品の延期を願い出る永徳自筆の書状が残されているそうな。


結局、彼は1590(天正18)年9月14日、東福寺の天井画を制作中に47歳の若さで世を去るのですが、死因は過労死(!)と推測されています。ダメだぁ顔


立場上、権力者からの依頼を断ることは出来なかったのでしょうが、あまりに早い他界は我が国にとっても大きな損失。

戦国時代に翻弄された〝超売れっ子絵師〟のご冥福をお祈り致します。笑3



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10930856380.html?frm=themeより引用させて頂いております。