速射砲

現在テレビに露出しているお笑い芸人は、多くが漫才コンビ。

今まで何回か漫才ブームがありましたが、最も爆発的だったのはB&B、ツービート、そして島田紳助・松本竜介らが活躍した1980年代前半。


その時期、彼らに先んじて人気を博したのが

 星セント・ルイス

今日はこのコンビの向かって右側に立っていた長身のボケ役、星セントさんの命日なのです。

星セント (本名・村山袈娑夫) さんは、1948年の長野県・長野市生まれ。

私と同郷だった故に、彼の活躍には一層親しみを感じたものです。

高校時代から芸人志望で、在学中から森繁久弥氏や谷啓氏らに手紙をセッセと出していたそうですが、その中で獅子てんや・瀬戸わんやから返事が届き、1969年に弟子入り。

別の漫才師に弟子入りしていた藤江充夫さんが、その師匠がコンビ解消したため、てんや・わんや師匠の紹介で村山さんと引き合わされ、1972年に星セント・ルイスとしてコンビを結成しました。

元々セントさんは役者志向もあったそうで、ネタに演劇のセリフを取り入れたり自らも舞台に立つなどしていたため、昔気質の浅草芸人からは煙たがられていたとのこと。

また皮ジャンやブーツで寄席に上がり、それまではキチッとしたスーツ姿にネクタイの正装で舞台に立つのが当たり前だった漫才界の常識を打ち破った先駆者でした。

最近の若手漫才師たちの舞台衣装を見れば、その流れがすっかり定着しているのが分かります。

          ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-星セント・ルイス

そして何と言っても彼らの特徴は、速射砲のよ如き猛烈な早口。

〝田園調布に家が建つ〟など、一世を風靡したフレーズを息つく間もなく連発・・・お客さんがついていくのが大変なほどのスピードでした。

それでも実力は当時ピカ一。

1977年にはツービートらを抑えてNHK漫才コンクールで優勝し、1980年には漫才ブームの火付け役となったTV番組・『花王名人劇場』 で、あの関西の重鎮やすし・きよし師匠の向こうを張って、関東の雄として出演した程でした。

しかしその後は 『THE MANZAI』 等の名物番組を手がけた名プロデャーサー・横澤彪氏らと方向性が合わず、徐々にTV画面からその姿を消すことに。

そして2002年に肺ガンがみつかり、右肺を全摘出。 

このため声が出せなくなり、翌年にやむなくコンビを解消。 

そして2004年7月22日・・・まだ56歳の若さでこの世を去りました。

実は彼ら、コンビを組んで3年目くらいから不仲だったそうで、ネタ合わせと舞台出演の時以外は会話が無く、お互いの自宅住所すら知らなかったとか。驚き顔 ヘェ~

今にして思えば、セントさんのルイスさんに対する毒舌・・・妙にリアルだったような気もします。

しかし皮肉なことに、その相方・ルイスさんもセントさんの後を追うように僅か8ヵ月後、同じ肺ガンで亡くなってしまいました。

彼ら2人は、天国で果たして再びコンビを組んでいるや否や?

漫才界の旧体質を打破しブームの火付け役となった、星セント・ルイスお二人のご冥福をお祈り致します。笑3 


お時間のある方は、彼らの懐かしい漫才をご覧ください。(


< http://www.youtube.com/watch?v=vl7Qzogwh9E
>



                ペタしてね

こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10869662523.html?frm=themeより引用させて頂いております。