達 磨

先日、某TV局の政治討論番組で、民主党の議員さんがこんな事を暴露(?)してました。

「中川(前)大臣は、本来随行メンバーでない玉木国際局長を指名同行させたが、彼は東大の同期生というだけでなく、ワインのソムリエの資格も持っているんですョ。 その上G7とは関係ない在欧大使館に勤務する別の同窓生もイタリアに呼び出しているんですょ。

自民党さんは、最初はカゼ薬の飲み過ぎ程度で押し通せると思ったんだろうけど、我々民主党が調査して事実を摑みつつあることを知って、慌てて辞任させようとしたんじゃないの?」

こう詰め寄られた自民党のセンセイ方は、「・・・・・・・。」ダメだぁ顔

中川センセ・・・イタリアではG7出席よりも、公費使った同窓会の方が大事だったんですかネ?うー


さて、そんな酩酊大臣とは大違い・・・〝100年に一度の大不況〟といわれている今年から遡ること80年以上前、世界恐慌の大波を被った日本の経済危機を救った政治家が、2・26事件=青年将校の襲撃により命を落としたことをご存知でしょうか? その人の名は

高橋 是清 大勲位子爵

〝達磨さん〟という愛称で親しまれた、第20代内閣総理大臣です。

1854(嘉永7)年、幕府御用絵師・川村庄右衛門と川村家の女中・きんとの間に生まれた是清氏は、生後すぐに仙台藩・高橋覚治の養子に出されます。

13歳の時、仙台藩の命によりアメリカに留学しますが、ホームステイ先の夫婦に騙されて奴隷契約書にサイン驚き顔 させられ、いくつかの家を奴隷として転々とする・・・という大変な辛酸を舐めたのだそうです。

1868(明治元)年、32歳でようやく帰国すると、文部省に入省。 一時期は英語教師・校長なども務めながらも、文部省などの官僚として活躍。 特許庁の初代局長として、特許制度を整備しています。

            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-高橋是清

その後日本銀行に入行。 日銀総裁に就任し、日露戦争の戦時外債の公募などで手腕を発揮しました。

1905(明治38)年に貴族院議員に当選し、総理大臣をも務めましたが、やはり高橋氏が最も評価されるのは、通算6度に渡り就任した大蔵大臣としての経済問題の舵取りといえましょう。

1927年の恐慌時にはモラトリアム(支払猶予)を宣言。 また急造紙幣を大量発行して銀行窓口に積み上げ、預金者を安心させて取り付け騒ぎを沈静化。

その後も臨機応変な経済政策を実行し、世界に先駆けて日本経済を復興させた最大の功労者でありました。

しかしインフレ抑制のために軍事予算を縮小したことで軍部の恨みを買い、自宅2階で青年将校たちに暗殺されてしまったのです。 享年81歳。

戦前の日本経済の救世主・「ダルマ蔵相」が、もし今の時代に生きていたなら、果たしてどんな政策を取ったのでしょう?

少なくとも某政権のような〝無策〟のまま・・・ということはないはず?

それとも最早、彼でも手の施しようがない事態に、我が国は突入してしまったのでしょうか。うー






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