重 臣

2011-04-24 07:07:07
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今日・4月24日は、安土桃山時代に活躍した武将、

 柴田 勝家

の命日にあたります。

1522(大永2)年生まれと伝えられる勝家は、その出自がはっきりとしていませんが、若い頃から織田信長の父・信秀に仕えていた模様。

信秀の死後、勝家は信長の弟・信勝に仕え、後継者争いで信長と戦い敗北。

しかしその信勝が自刃したのち、信長は自分に敵対した勝家を許し家臣として召し抱えます。

当初は冷遇されたものの、武功を重ねた結果〝織田四天皇〟の一人に数えられるまでになり、北陸方面の総指揮官を任じられます。

現代風に言うなら、〝専務取締役 北陸営業本部長〟というところでしょうか?

後に秀吉が、改名の際に四天皇の一人・丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつもらって 「羽柴秀吉」 と名乗ったことでも、その力量が分かります。

        
            ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-柴田勝家

しかし北陸方面を任されたことが、後に彼の運命を大きく左右することに。

1582年に 「本能寺の変」 が起きた際、彼は越後・上杉景勝と対峙しており、その反撃を受けたために京都に戻ることができず、その結果 「清州会議」で秀吉が推挙する信長の孫・三法師が後継者と決まり、発言力が弱まってしまいます。

秀吉との対立は深刻化する一方・・・ついに賤ヶ岳の戦いで激突し敗北。 

1583 (天正22) 年4月24日、正室・お市の方と共に自害して果てました。

お市の方は、織田信長の実妹。

浅井長政に輿入れするも、兄・信長との戦いで夫は自害。 

その後秀吉の仲介で柴田勝家と再婚したものの、今度はその秀吉との戦いに巻き込まれることに。

この時は秀吉から助命の申し入れがあったものの、これを拒否。

再婚して間もない勝家と運命を共にしたのです。

(もし私が勝家と同じ境遇になったとしたら、我が女房は運命を共にしてくれるだろうか?)あせあせ

それにしても、驚くべきは秀吉。

嘗て仕えた織田信長の妹と先輩武将の縁組を仲介したのに、その本人と合戦して彼ら夫婦の命を奪い、そして彼女の娘・茶々 (淀殿) を自らの側室として迎えるとは!

秀吉自身、お市の方を密かに慕っていたとされていますが、本人を側室に迎えることが叶わぬと、その代わりに彼女の面影を持つ娘を・・・というわけです。

余程女性好きだったというか、執着心が強いというか。

もっとも、それくらいでなければ天下統一など出来ないのでしょうけど。

まさに〝勝てば官軍〟・・・戦国時代は何でもアリだったんですねェ。

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10444617430.html?frm=themeより引用させて頂いております。