鉄 男

2010-05-01 07:07:07
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今日は、チェコ生まれでロマン派後期の作曲家、


 アントニン・レオポルド・ドヴォルザーク

     (Antonín Leopold Dvořák


の命日にあたります。

私が通っていた小学校では、毎日下校時間になると彼の作曲した交響曲第9番 『新世界より』 の第2楽章・〝望郷〟のメロディーが流れていました。


おそらく私の人生で最も聴いた回数の多い旋律かもしれません。


ドヴォルザークは1841年に肉屋の倅として生まれました。 

父親はチター、叔父はトランペットの名手という環境で育ち、小学校に入ってヴァイオリンを習い始めるとたちまち上達。 

9歳で地元楽団の奏者となる程の腕前でした。


父親は肉屋を継がせようと専門学校に入学させたのですが、幸運にも同校のリーマン校長がドヴォルザークの才能を高く評価してプラハのオルガン学校に入学させ、さらにそこで富裕層の友人・カレルと知り合うこととなります。


後に作品の初演を援助してくれることとなるカレルの計らいで、卒業後楽団のヴィオラ奏者をしていたドヴォルザークは、作曲活動に専念するため1871年にオーケストラを退団。


徐々に評価されるようになった彼の作品はブラームスに激賞されたことにより一気に名声が高まり、幼い2人の子供を立て続けに亡くす不幸を乗り越えて、さらに多くの名作を残しました。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-ドボルザーク

何度も渡英するなどして、国際的な名声を手に入れたドヴォルザークは、ニューヨーク・ナショナル音楽院から強い招聘を受け、ちょうど50歳を過ぎた1892年にアメリカに渡ります。

面白いのは、渡米を決断した動機。

実は彼、子供の頃から大の鉄道ファンで、アメリカ行きの決め手が 「アメリカ大陸の鉄道に乗りたかった」 からだった、というのです。

実際、ニューヨーク滞在中は毎日グランド・セントラル駅に行って特急列車の機関車番号を記録していたそうで、毎日乗っていた列車の走行音が普段と違うことに気づき、車掌に伝えて故障発見に貢献した事もあったとか。

いやはや、筋金入りの〝19世紀の鉄男さん〟だったんですネ。

同学院の院長に就任し、滞在約2年半の間に 『新世界より』 や弦楽四重奏 『アメリカ』 などの秀作を残した彼は、帰国後ウィーン学友協会々員になるなど多くの名誉を手にした末、今から196年前の今日・1904年5月1日に脳出血で62歳にて逝去。 

葬儀は国葬として執り行われたそうです。

疾走する蒸気機関車を目を輝かせながら眺めているドヴォルザークの姿を想像しつつ、今宵は私のお気に入り・・・ 『交響曲第8番』 を、静かに聴き入りたいものです。笑3




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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10447049228.html?frm=themeより引用させて頂いております。