開 眼

今を遡ること1,258年前の今日、日本人なら誰でも知っている、また多くの方が拝観されたであろう仏像の開眼供養会がありました。

その仏像のお名前は、

 『盧遮那仏坐像』

そう、東大寺・奈良の大仏様でございます。

全国的に天然痘が流行り、干ばつや飢饉が続いた上に大地震もあった翌年の741(天平13)年、聖武天皇は世情の安定を願って全国に国分寺・国分尼寺建立の詔を、また華厳宗総本山・東大寺を日本の総国分寺と位置付け、更にその2年後〝大仏建立の詔〟を発しました。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-大仏

745年から木材や荒縄を芯にして銅像と等身大の粘土像を造り、更にそれを覆うように外型を作るという気の遠くなるような手作業で大仏の建造が開始。

747年から8回にわたり段階的に銅を隙間に流し込む鋳造が繰り返された末、749年に大仏本体がほぼ出来上がりました。

そして仏教伝来200周年に当たる752(天平勝宝4)年4月9日、1万人以上の参列者を迎えて華々しく開眼供養が執り行われたそうです。


(※大仏が光背を含めて完成したのは、それから19年後のことでした。)

座高14.98m、顔の長さだけで5.33mにも及ぶ現在の大仏様は、855年の地震により頭部が転げ落ち、更に1180年・1567年と2度の兵火に見舞われており、頭部は江戸時代、胴体部の殆どは鎌倉時代に補修されたもの・・・完成当時から残っているのは台座や右脇腹部、大腿部などごく一部だとか。

現在のように科学が発達していない時代に、これだけのスケールの銅像建立に従事した述べ260万人にも上ったといわれる人夫たちの苦労は、いかばかりだったのでしょうか?

それを垣間見られるような小説があります。

           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-国銅

大仏の建造に携わる主人公・国人を通して、奈良時代に生きる人々の人間模様を描き出した秀作ですが・・・苛酷な現場の描写は、まるでそれを見ているような錯覚に陥ります。

よく歴史の教科書等では、ピラミッドや万里の長城などを含め、歴史的大建築物を造った人物として時の権力者の名が記されています。


しかし実際には、無数の名も無き人夫たちが流した、血と涙と汗の積み重ねによって造られたはず。

私はこの盧遮那仏を拝む時、絶対権力者の願いを遂げるために殆どその一生を大仏建造に捧げた人々の労苦を想い、ただ頭を垂れてしまうのです。笑3


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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10437718089.html?frm=themeより引用させて頂いております。