隆 起

阪神淡路大震災や東日本大震災など、いつどこで何が起きても不思議ではない、地震大国・日本。

その歴史の中でも特異な出来事といっていいのが、北海道に突如出現した

 『昭和新山』

小学校時代に、社会科の授業で 「一夜にして畑が山になった」 なんて教えられた記憶が微かに残っています。(実際には一夜ではなかったのですが・・・。)

江戸時代以降、何度か噴火を繰り返してきた活火山・有珠山の麓にある有珠郡壮瞥町。

ここに広がる広大な麦畑が、やがて急激な地殻変化に見舞われる前兆は、1943年12月に起きた有感地震。

翌月には湧き水の温度が20℃から40℃以上に急上昇し、また洞爺湖面に渦巻きができるなど不気味な現象が続き、更にそれから3ヶ月の間に各地で最高30m程の隆起が観測されました。

そして今から67年前の今日・1944年6月23日、1回目の大噴火が起こり火口が形成され、以後終戦直後の1945年9月までに17回もの噴火を繰り返し、175mもの溶岩ドームに成長・・・これが昭和新山と命名されたのです。

約る2年弱の間に、平坦な麦畑が赤褐色の山に変わってしまう・・・地元の方は、さぞ恐怖に慄いた事でしょう。うー

ところで、現在も火山活動を続け日本人なら誰もが知っているであろうこの山・・・個人の所有物であるって、皆さんはご存知でしょうか?

この山を、元の地権者から買い取った人物の名は、

 三松 正夫  (1888~1977)


         ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-昭和新山

22歳の時に有珠山の噴火を体験した三松氏は、地震学の権威であった東京帝大・大森房吉教授の観測を手伝った経験があり、同教授から

「噴火に遭遇した者は、その事象を科学的・客観的に観測し、将来噴火が起こった際の防災に資することが責務。」

と教えられていました。

噴火当時、壮瞥郵便局の局長だった三松氏は教授の教えを忠実に守り、たった独りで有感地震の回数を記録するなどの現地調査を行い、新山が隆起する過程を詳細に描き続けたのです。

この連続スケッチの稜線のみを1枚にまとめた 『昭和新山隆起図』 は1948年にノルウェー・オスロで開催された万国火山会議に於いて〝ミマツダイヤグラム〟と呼ばれ、絶賛されました。

そして新山が活動を終息させた後、何と三松氏は硫黄の採掘から同山を保護するため、現在の貨幣価値で3,000万円以上の私財を投じて買い取り、昭和新山の個人所有者となったのです。驚き顔

そればかりか天然記念物指定を出願、見事1951年に国から特別天然記念物の認定を取得。

現在は同山の麓に 「三松正夫記念館」 と、彼の銅像が建てられています。

(※ちなみに現在の昭和新山の所有者は、同記念館の館長を務める三松氏の娘婿・三松三朗氏。

北海道にお越しの際には、クマ牧場だけでなく是非この〝地球の吹き出物(?)〟昭和新山と、その保護・観察に人生を捧げた三松氏の業績に触れてみて下さい。笑2



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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10842910106.html?frm=themeより引用させて頂いております。