飛行器

世界で初めて有人飛行機を飛ばしたのは・・・誰もがライト兄弟と答えられるでしょう。


しかしその12年前・・・今から121年も前に動力付飛行機の離陸に成功した日本人がいたことを、皆さんはご存知でしょうか?


その人の名は、


 二宮 忠八 氏

類まれなる発想力を持ちながら、時代と運に恵まれなかった才人でした。


             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

二宮氏は1866(慶応2)年、現在の愛媛県八幡浜市の商家に四男として生まれました。


生まれた当初は裕福だったものの事業の失敗や父親の死により生活は苦しく、忠八少年は早くから雑貨屋や印刷所で働いたといいます。


そのな中でも物理学などの本を読み耽る化学少年だったようで、家計の足しにと独自に考案したよく上がる凧を販売・・・これが結構な人気商品になったとか。


そんな彼も時節柄21歳で徴兵され丸亀歩兵連隊に配属されたのですが、その2年後・・・野外演習の昼食休憩中にカラスが羽ばたいていないのに大空を滑空するカラスを見て、インスピレーションが湧きました。


「翼で向かってくる風を受け止めさえすれば、空を飛べるのではないか?」

と。 それから彼は空を飛ぶ研究に没頭、1年後には 『カラス型模型飛行器』 を完成させます。

カラスの体型を模したボディーに、勤務していた陸軍病院から失敬した聴診器のゴム管を動力とした4枚羽のプロペラを付けたこの模型は、1891年4月29日に丸亀練兵場に於いて10mの滑空に成功、さらに翌日には30メートル以上に記録を伸ばしました。

これは動力飛行機における世界初の離陸成功といえましょう。扇子


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その後も彼の研究心は衰えず、更に2年後には人間が乗れる無尾翼の複葉機・『玉虫型飛行器』の模型を製作。

しかしながら、この時期の日本は日清戦争開戦前の緊張状態。

彼自身も転属がたび重なり、不運にも飛行機の開発・研究は一旦凍結せざるを得ませんでした。

しかし彼は飛行機を戦場の偵察や通信に使えないか? と考え、1895年に設計図を携えて上司の長岡外史大佐、更には旅団長・大島義昌将軍に持論を提唱します。

しかし返ってきた答えは、「現在は戦時中で多忙、しかも未完成のものは採用できない」 と、にべもないもの。


彼はその回答に失望し、退役後独自に資金を集め研究を続けたのですが・・・もし時の上司に先見性があれば、軍から潤沢な研究費を引出してライト兄弟よりも早く有人飛行機を作り出していたかもしれません。


二宮氏は1936(昭和11)年に70歳で生涯を終えましたが、生前たった1度だけ飛行機に搭乗したことがあったそうな。 その時の気持ちを、


若い頃、毎晩夢で見ていた時と全く変わらなかった。」

と述べたそうですが、正直忸怩たる思いもあったのでは・・・。


大空にたなびく鯉のぼりを見ながら、かつて大空に夢を描いた日本人がいたことを、どうか記憶に留めてください。笑3


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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11145683423.html?frm=themeより引用させて頂いております。