
2七銀
将棋界で現在最高峰に位置する羽生義治永世六冠。
その彼の1つ年上で、「東の羽生・西の村山」とまで言わしめた、
村山 聖(さとし) 九段
を、皆さんはご存知でしょうか?
今日・8月8日は、若くして世を去ったこの天才棋士の命日にあたります。
1969年に広島で生まれた村山少年は、5歳の時に難病〝ジフローゼ〟に罹患していることが判明します。
療養には安静が必要なため、小学校5年生まで病院の院内学級で過ごした彼は、父親から教わった将棋に没頭するように。
1982年には中学生将棋名人戦でベスト8入りするまでに腕を上げた彼は、若き天才・谷川名人を倒すため、自身もプロ棋士を目指すことを宣言し大阪へ。
紆余曲折の末、森信雄氏を師匠として1983年に奨励会入り。
そして谷川・羽生両名人をも上回るハイスピード・・・僅か2年11ヶ月でプロデビューを果たしました。
病気の影響による浮腫で、独特の風貌を持つ彼は〝肉丸君〟・〝怪童丸〟と呼ばれましたが、一方で奨励会時代から 「終盤は村山に聞け」 といわれる程の棋力は、棋士仲間から高く評価されていました。
1992年度には、念願のタイトル戦・王将戦への挑戦権を獲得。
プロを目指すきっかけとなった谷川王将との対局となりましたが、残念ながら敗北・・・結局これが生涯唯一のタイトル戦となってしまいます。
その後関東に主戦場を移し、1995年にはA級八段に昇格を果たしますが、病魔は確実に彼の身体を蝕んでいきました。
膀胱癌が見つかり、8時間半にわたる大手術も経験。
術後の対局は鬼気迫るものがあったといいます。
1998年に癌の再発・転移が発見され、地元広島の大学病院で入院・加療したものの・・・同年8月8日、29歳の若さでこの世を去りました。
意識が薄れゆく中、うわ言のように棋譜を呟き続けた彼が最期に口にした言葉は、「・・・2七銀。」 だったとか。
彼は、遂に実現しなかった名人戦を夢の中で指していたのでしょうか?
対戦相手は目標だった谷川だったのか、あるいは同世代の羽生であったのか・・・それは永遠に謎のままです。
将棋盤の上だけでなく、病魔とも戦い続けた彼の壮絶な生涯を描いた1冊の本をご紹介致します。
『聖の青春』 (大崎善生・著)
新潮学芸賞を受賞した秀作です。
自らの運命を受け入れ、命を削りながら勝負の世界に生きた若き天才棋士の生涯は、読む者に戦慄と感動を与えてくれることでしょう。
この本を読んで彼の壮絶な生き様を知れば、某総理も軽々しく 「命がけで」 などと口に出来ないはず。
全く将棋を知らず、飽きっぽくていつも本は半分までも読まない我が女房が、一気に読み切った・・・これだけでも、いかに良書であるかをお分かりいただけるかと。
棋界最高の実力者・羽生永世六冠と通算成績6勝7敗・・・ほぼ互角に渡り合った、今は亡き天才棋士のご冥福を、あらためてお祈り致します。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10968247860.html?frm=themeより引用させて頂いております。

