4番・アウトスタート

先日、NHK-BSのスポーツ特集番組で、私とほぼ同世代の懐かしいオリンピック選手が取り上げられていました。


1988年・カルガリー冬季五輪、男子スピードスケート500mの銅メダリスト、

黒 岩 彰 選手

日本を代表するスケーターでしたが・・・私の中では、〝悲運のスプリンター〟というイメージが強い選手でした。

1961年生まれの黒岩選手は、専修大学在学時の1983年・世界スプリントで金メダルを獲得。

当時は他種目でめぼしいメダル候補選手がいなかったこともあり、翌年に控えたサラエボ五輪で日本唯一のメダル候補として、マスコミの取材が殺到したといいます。

今と違って広報担当などいなかった時代、また母親から 「人との付き合いを大事にしなさい」 と躾られていた黒岩選手は、要求されるまま取材に応じていましたが・・・やがてあまりの取材攻勢に辟易し、早く取材を切り上げてもらおうと、簡単に 「メダルを獲ります!」 と口にするようになったとか。

ところがいざサラエボ入りした途端、自らのメダル獲得宣言がプレッシャーとして重くのしかかり、悪天候や、抽選の結果 (当時は一発勝負だったレースの) スタートが圧倒的不利といわれたアウト・コースになったこともあり、結果は10位の惨敗。

あれだけ快く取材に応じていたのに、報道陣の中には 「俺たちがサラエボまで来たのは何だったんだ?」 と心ない言葉を浴びせる記者もいたとか。うー

           ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-黒岩彰

失意のどん底に沈んだ黒岩選手・・・そのままでは終わりませんでした。

社会人選手となり、当時としては誰も行っていなかった〝イメージトレーニング〟を導入。 

口さがないマスコミから 「寝ながら音声を聞いているだけで、メダルが獲れるのか?」 などと揶揄されながらも、彼はやり続けたのです。

1988年のカルガリー五輪・500mのスタートは、皮肉にも前大会と同じ 『4番・アウトコース驚き顔 を抽選で引き当てた黒岩選手。 


神の与えし試練・・・しかしイメージトレーニングのおかげで、「よし、思った通りだ!」 という、むしろ落ち着いた心境のままレースに臨むことが出来たという黒岩選手は、遂に念願の銅メダルを獲得したのです。クラッカー (※そのレース、インコースでスタートしたメイ選手が世界記録を叩き出しての優勝でした。)

その後の日本スポーツ界の広報体制・イメージトレーニングの重要性を認識させた名選手・黒岩彰氏の名を、その後久しぶりにTVを通して見た時は、少なからずショックを受けました。

松坂大輔投手が犯した駐車違反を、当時西武ライオンズに出向していた黒岩氏が身代わりで出頭したことが明るみに出て、書類送検された・・・というニュースがそれでした。うー

どういう経緯にせよ、嘗て日の丸を背負って戦ったメダリストに身代わり出頭させる球団の対応には、大きな失望と怒りを感じましたネ。 (それ以来、私は西武関係のチームが応援できません。)

でも、そんな人生の天国と地獄を味わった黒岩氏・・・今は富士急行スケート部の監督として、後輩の指導にあたっておられます。

是非今までの経験を生かし、自分を上回るスプリンターを育成してもらいたいものですネ。

頑張れ、黒 岩 彰 監督!扇子


こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10228569662.html?frm=themeより引用させて頂いております。