
V10
9連覇といえば、まずプロ野球の巨人。
また史上最強の柔道家といわれた山下泰裕選手が全日本選手権で成し遂げた、いずれも不滅の大記録です。
しかしそれを上回る10連覇を、国際試合・・・しかも 「世界選手権」 で達成した日本人がいることを、皆さんはご存知でしょうか?
その伝説的人物の名は、
中野 浩一 選手
種目は自転車のプロ・スプリント(以前はプロ・スクラッチ)競技なのですが、彼がその第一歩である初優勝をベネズエラで飾ったのが、今から34年前の今日・1977年8月31日のことでした。
中野選手は1955年、福岡県久留米市生まれ。
高校時代は陸上競技の選手で、400mリレーの選手として全国制覇を経験しましたが、ケガにより競技生活を断念。
両親が競輪選手だったこともあって自転車に転向した彼は、1975年に日本競輪学校を卒業してプロデビューするや、いきなり18連勝(!)を飾ってトップ選手に。
その2年後に世界選手権優勝を果たすと、周囲の選手から徹底的にマークされるようになり苦しみますが、それでも1980年にはプロスポーツ選手として史上初の年間獲得賞金額1億円を突破。
そして1986年の世界選手権まで10連覇、という前人未到の大記録を達成したのです。
日本ではあまり注目されていませんが、ヨーロッパでは絶大な人気を誇る自転車競技。
世界選手権は近代オリンピックの第1回アテネ大会が開催される3年前に始まっているくらい。
その伝統の大会での10連覇ですから、欧州では〝Koichi Nakano〟の名は我が国の歴代総理大臣など比較にならない程有名で、
◆ ヨーロッパのミシュラン三ツ星ホテルは、全て顔パス。
◆ ツール・ド・フランス5連覇を果たしたスペインの英雄ミゲル・インドゥラインが
彼からインタビューを受けた時、緊張のあまり直立不動になった。
等々の伝説には事欠かぬ、まさに〝神様〟扱いなのだとか。
1992年に現役引退、競技生活17年の長きに渡り獲得した通算賞金総額は13億2,764万円でした。
彼の出現と活躍によって、それまではオヤジ達のギャンブルに過ぎなかった〝競輪〟が、オリンピックの正式種目〝Keirin(ケイリン)〟になった、と言っても過言ではないでしょう。
それが証拠に、〝Keirin〟がオリンピック自転車競技の正式種目に採用された2000年のシドニー五輪では、全レースの先導誘導員を務めていますし。
日本発祥のスポーツでオリンピック正式種目になったのは、柔道とケイリンしかないことを考えれば、中野選手の功績は非常に大きいといえます。
現在は日本自転車チームの強化委員長を務める傍ら、評論家・スポーツコメンテーターとして活躍する中野氏・・・カツラのCMに出ていた単なる元競輪選手ではなく、〝日本の宝〟であることを、是非知ってくださいまし。
2006年には、競輪選手として初めて紫綬褒章を授与されましたが、私はそれだけでは不十分だと思っています。
なでしこジャパンがW杯の優勝1回で授与されたならば、世界的知名度・実績とも彼女らを上回る中野氏にも是非国民栄誉賞を・・・と思うのですが、いかがでしょう?
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10901378640.html?frm=themeより引用させて頂いております。

