
~の女
自分が社会人になって以降、最も作品を観た回数の多い日本人映画監督といえば・・・おそらく北野武氏とこの方だと思います。
伊丹 十三 監督
今日は、俳優・エッセイスト・デザイナー等各方面で活躍した、このマルチタレントの命日にあたります。
伊丹(本名・池内 義弘)氏は、映画監督・伊丹万作氏の1人息子として1933年に京都市に生まれました。
父親の仕事の都合で状況したり、京都に帰ったりしましたが、京都府立一中に入学した年に父親が死去。
以後転校を繰り返した末、愛媛県松山市に転居。
県立松山東高校に転入しましたが、その在籍時には文芸雑誌に投稿もしました。
20歳で同校を卒業後上京、車内吊り広告のデザイナーをする傍ら、舞台芸術学院を経て26歳の時に大映に入社。
父親の伊丹姓と小林一三の名から「伊丹十三」という芸名をもらい、俳優に。
『北京の55日』 などの外国映画にも出演し話題となったそうですが、俳優として唯一私の記憶に残っている伊丹氏は、 『家族ゲーム』 という邦画。
松田優作氏が家庭教師役で主演していましたが、伊丹氏が父親役を演じた家族が横一列で食事するシーンが印象的でした。
俳優業と同時にエッセイストとしても活躍した伊丹氏は、1969年に女優・宮本信子さんと2度目の結婚。
様々な芸術活動の集大成として映画監督デビューを果たしたのは1984年。
その処女作が、『お葬式』でした。
義父の葬儀に出席した時の経験を元に、僅か1週間で脚本を書き上げたというこの作品は、その年国内の映画賞を総ナメ・・・一躍伊丹氏は映画監督としての地位を確立。
今から30年近く前の映画ながら、今葬儀屋となった私が観ても所々勉強になる斬新かつ面白い内容・・・この作品で伊丹ファンとなり、以後彼の作品は殆ど観ています。
奥さんを主人公に起用した 『マルサの女』 や 『ミンボーの女』 は、保険会社勤務時代の私には仕事上の参考にもなりましたし、『あげまん』 や 『スーパーの女』 も面白かったですねェ。
『タンポポ』 に、今や大スターとなった渡辺謙さんが脇役で出ていたのも、懐かしいです。
しかし、そんな伊丹氏の突然の訃報が飛び込んできたのは1997年・・・クリスマスを控えた12月20日のことでした。
自らのプロダクションが入っていたマンション下で亡くなっているところを発見され、その直前に写真週刊誌に掲載された不倫疑惑に抗議しての飛び降り自殺・・・とされました。
しかし『ミンボーの女』公開に際して、暴力団から襲撃され全治3ヶ月の重傷を負ってもへこたれなかった伊丹氏が、そんなことで自ら命を絶つだろうか?・・・私は今でも信じられません。
映画人としてこれから、という64歳での旅立ちは残念ですが、氏の作品が永遠に残ることだけが救いです。
今夜どの作品を観ながら伊丹氏の冥福を祈るべきか・・・やっぱり、『お葬式』?
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11020341963.html?frm=themeより引用させて頂いております。

