monsieur

2011-08-02 07:07:07
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フランス語で〝ムッシュ〟・・・今日は、かつてそう呼ばれていた日本におけるフランス料理界の重鎮にして帝国ホテルの総料理長であった、

 村上 信夫 

の七回忌にあたります。

村上氏は1921(大正10)年、東京・神田で食堂を経営する父の長男として生まれました。

元々料理人としての素養があったのかもしれませんが、11歳の時に両親を:結核により相次いで亡くした村上氏は、小学校卒業前から浅草の 「ブラジルコーヒー」 という 洋食屋で住み込みで働き始めます。

一人前の料理人に早くなりたい・・・向上心に燃える村上氏のために、同店の料理長が 「良いコックになりたいなら、ここにいてはダメだ」 と帝国ホテルに行けるよう手配をしてくれたものの、応募者が殺到していてなかなか採用通知は来ず仕舞い。


しかしいくつかの店に移りながら修業に励む村山氏を神様は見捨てませんでした。


たまたま在籍していた有楽町の 「リッツ」 が経営不振のため帝国ホテルに買収されたことにより、18歳にして憧れの同ホテルで働ける幸運に恵まれます。


当たり前のことながら、皿洗いの毎日からスタート・・・しかし先輩コックたちは容易にソースの味見などさせてはくれません。


しかしそれに負けず2ヶ月で200もの鍋をキレイに磨いた村上氏を先輩たちは徐々に認め、自らの調理方法を横にいて盗ませてくれるようになったとか。


どの世界でも、〝継続は力なり〟なんですネ。


しかしそんな修業の最中に太平洋戦争が勃発、村上氏も徴兵され最前線に・・・4度も負傷し、なおかつシベリア抑留を経験しながら1947年、母の命日であった7月15日に復員を果たします。


2ヶ月後に帝国ホテルに復職した村上氏は、同ホテルの犬丸社長からフランス修業を命ぜられ、在ベルギー大使館勤務を経てフランスの名門 「ホテル・リッツ」へ。


約1年間の修行で 「味を逃さず閉じ込める」 極意などを学び帰国。

先輩コックを飛び越え、37歳で新館の料理長に抜擢されます。

             ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草-村上シェフ

実力を買われ、1960年にはNHKの 『きょうの料理』 に出演。

当時は白黒テレビで生放送という料理番組には厳しい環境の中で、プロが勘で加減していた調味料の量をグラム単位で紹介・・・視聴者から好評を博し、全国的な有名人に。


また日本で初めてバイキング形式のサービスを導入したのも村上氏でした。


更に東京オリンピック女子選手村の料理長を務め、この時のエピソードは後に 『プロジェクトX』 で紹介されました。


その後帝国ホテルの専務取締役総料理長も務める傍ら、2005年8月2日に84歳で亡くなるまで日本のフランス料理界に多大な貢献をされた村上氏・・・役員会には常に白いコック服姿で出席し続けた、生粋の料理人だったと言えましょう。


帝国ホテルの後任料理長に、「一番おいしい料理とは、お母さんの料理だ」 と言ったことがあるとか。

幼くして母を失った自分自身の悲しい経験を踏まえ、料理に最も大切なのは〝真心〟だと教えてくれた料理界の最高権威・ムッシュ村上氏のご冥福をお祈り致します。笑3

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こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10879990863.html?frm=themeより引用させて頂いております。