命 令

2008-06-11 07:05:05
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小野田寛郎 


『ルバング島の小野田少尉』といえば、多くの方がご存知でしょう。

1922年和歌山に生まれ、1942年陸軍に入隊。 その後陸軍中野学校に入校、1944年12月にルバング島に着任。


その後終戦を迎えても任務解除の命令が届かなかったため、部下と共に密林に篭り諜報活動を続けました。


以来、鈴木紀夫氏(※冒険家・1986年11月、ヒマラヤで38歳の時に遭難死)と出会ったことをきっかけに、上官・谷口義美元少佐の任務解除・帰国命令に従い1974年に投降するまでの約30年間驚き顔、現地で「日本軍兵士」として活動し続けました。


          小野田少尉

帰国後しばらくしてブラジルに渡り農場を経営する傍ら、サバイバル術を通して健全な日本人を育成するべく『小野田自然塾』を主宰。80歳を過ぎてなお精力的に活動をしていらっしゃいます。


その小野田氏の体験からなる含蓄ある言葉に触れましたので、ここで皆さんにご紹介させていただきます。



 中野学校は現役兵の中から選抜でした。だから辞退しようと思えば辞退できます。敵の中に飛び込んでいって、どこで死ぬか分らない縁の下の力持ちの任務ですから、こんなことは強制したって無理です。一番大事なのはその人間に覚悟があるかどうかです。


 中野学校では、今まであったことは敵も研究して知っているから、とにかく次から次に自分の頭で考えろと。その場その場で新しく考えることを教わりました。また教官から「貴様たちは誰のことも信用してはいけない。俺のことも信用してはいけない。自分の判断だけを信用しろ」と教わりました。だから自分が正しいと思ったら、それに従うのみです。間違えたら自分の命にも関わるわけですが、それは完全に自己責任です。そういう精神を教わったことは、ルバングでの30年の生活に役立ったと思います。


 まずは健康でいることが大事です。そして健康でいるには頭をよく働かせなければダメです。自分の頭で自分の体をコントロールする。健康でないと思考さえ狂って、消極的になったりします。


 軍人だからまずは命令です。命令というと受身の印象があるけれども、我々は「俺がやらなければ誰がやる」という教育を受けていますから、使命感といってもいいでしょうね。完遂できなければ己の名折れだという考えがありました。また、そういう任務遂行の目的意識が常にあれば、いろいろな知恵が出るものです。


★ 鈴木(紀夫)君が「小野田さん、この島で果てるつもりですか」と言うから、「いや、命令がないから」と言ったんです。それで初めて命令の未達に気づき、私の上司にあたる谷口少佐を連れてきてくれたんです。


 ブラジルでは500ha・1,000頭以上の牛を飼わないと牧場主と認めてくれないんです。私が開拓した約1,200haといったら、成田空港と同じくらいの広さで、「何の経験もない素人がでるはずがない」とも言われましたが、僕に言わせればルバング島の20分の1でしょう。たいしたことはないですよ。


 日本が戦争に負けて、戦前のものをすべて放棄したことから、今の日本の混乱は始まっていると思います。

米国の占領政策で自由と権利ばかり刷り込まれ、結局個人主義ではなく利己主義になってしまった。利己主義だから他人は全然認めないんです。自分の邪魔をする奴は親でも何でも抹殺する。集団とか国とか、自分の自由を束縛するものはすべて悪だと思っているんです。ひどいものです。

だから僕は自然塾に来た子供たちに聞くんです。「君たち、一人で生きられる?」と。一人で生きられるかどうかを考えたら、自ずとどう行動すればいいかわかると思います。


                   (※写真・文とも 月刊『致知』7月号より 抜粋)


・・・まさに命を懸けて命令を完遂しようとした小野田元少尉の生き様が伝わってきます。


“命令を我が使命とせん”とする小野田氏の気概を、そして“未来の日本に対する危機感”を真摯に受け止めたいものです。


ある意味、小野田氏の危機感が現実化してしまったのが、秋葉原の通り魔事件なのでは?・・・と、私には思えてなりません。



こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10103463181.html?frm=themeより引用させて頂いております。