小さな冒険王

冷凍食品の有害物質混入事件、予想通り(^^;影響が広がる一方で、解決のメドすら立たないようです。一刻も早い原因究明が待たれます。


さて、先日拙ブログに寄せられたコメントでその存在を知りました『植村冒険館』(板橋区蓮根2-21-5)に、見学に行ってまいりましたビックリマーク(yasuhirosanさん、情報のご提供ありがとうございました! m(_ _)m


クルマで過去何回も通った道沿いに、それはありました。運転している時は全く気づかなかったのですが、歩いていれば必ず目に入る立派な建物です。

        植村冒険館1


1月19日のブログにも書きましたが、私は高校生時代にある種の憧れを持って植村直己さんの書籍等を読み漁っていました。しかしその後彼が遭難・行方不明になられてからは知らず知らずの内に縁遠くなっていたのです。


事務所から徒歩で行けるところに冒険館がある・・・ということで、あらためて彼の足跡を辿るべくお邪魔したわけです。


「何で板橋に冒険館があるんだろう?」と不思議に思っていたのですが、伺ってわかりました。


植村さんは遭難されるまでの約15年間、板橋区に住んでいらしたのですね。ご家族から残された装備や写真などを譲り受けて板橋区が財団を設立したようです。


1階には関連の書籍がズラリと並び、2階には植村さんの実際に使用した装備品が丁寧に展示されています。


中には遭難後に授与された『国民栄誉賞』の賞状・盾などもありました。


          植村冒険館2

場内では、植村さんのマッキンリーでの遭難直前の様子を取材したVTRが放映されており、何人かの来場者が静かに見入っておられました。


以前は本を読んで想像するしかなかった植村さんのイメージが、VTRや実際に使用されていた装備品を見ている内に、はっきりとした実像として目の前に現れてきます。


拝見していて驚いたのは、マッキンリー峰アタックの最中につけておられたという日記です。(※撮影禁止でしたのでここでご紹介できないのが残念です。)


よくもまぁ-30℃近い極寒の冬山でのビバーク中に、ここまで克明かつ丁寧に文章を書けるものです。

過酷な条件の中で生き抜くには、やはり冷静さと緻密さが必要なのでしょうね。

(私だったら、ただひたすら寝てるだけかも・・・。あせあせ


もうひとつ意外だったのは、その装備の『質素』なことでした。


多分出来るだけ負担を軽くするため、必要最小限に留めたのだと思われますが、それにしても寝袋や自分で綻びを縫い合わせたという手袋、ザックなどは、現在ならその辺の量販店で普通に売られているような物に見えます。スコップや30kgに及ぶ資材を乗せたというソリに至っては、(失礼ながら)黙ってスキー場に持っていけばそのまま子供が手で引いて遊んでいてもおかしくないような、小さく簡素なものでした。


私は冬山登山とか冒険等、実際に経験したことはありません。


が、正直あの装備品だけで冬山に登れ!・・・と言われたら、絶対ウンとは言わないでしょう。(_ _; 


極限ギリギリまで切り詰めた様子が偲ばれます。


植村さんの冒険は、本当に命がけ、常に死と隣り合わせだったのだということがよくわかりました。


ただただ勇気の人、凄い方だった・・・と申し上げるしかありません。


162cmの小さな体でチャレンジし続けたこの危険極まりない冒険の向こうに、植村さんは一体何を求めていたのでしょう?



植村さんは1984年2月単独マッキンリー登頂を果たした後、下山途中に交信が途絶え、そのまま不帰の人となられました。

その時頂上に残してきた「日の丸」が第二次捜索隊の手により回収され、その現物が展示されていました。

          植村冒険館3

植村さんがマッキンリーの頂に掲げた後約3ヶ月にわたって風雪に晒されていたにも拘わらず、殆ど無傷で奥様の待つ板橋に帰ってきた日章旗を見ていると、植村さんの人懐こい笑顔が日章の中にダブって見え、私は思わず目頭が熱くなってしまいました。  (T人T)合掌


皆様も板橋・蓮根に来られる機会がありましたら、是非足を運んでみてください。

こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10069488798.html?frm=themeより引用させて頂いております。