忠 義

石川遼プロ、残念ながら初優勝はなりませんでした。ゴルフ


が、並みいるプロ選手に混じって、いきなりの優勝争い。最終日1番ホール、ハーフシャンクが出てダボ叩きながら、終盤3連続バーデイーとは・・・やっぱりモノが違うようですね。


簡単に勝つよりも、将来のことを考えればこの結果で良かったのかもしれません。


これからの活躍、大いに期待しましょう!笑2


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さて、今から74年前、1934年の今日・・・渋谷駅で忠犬ハチ公の銅像除幕式が行われたそうです。


秋田犬のハチは、1923年秋田県大館市に生まれました。(当たり前か?)笑顔


翌年には列車に揺られて上京(?)、東京帝国大学農学部教授・上原英三郎氏に飼われることとなりました。


上原氏の自宅は現在の東急百貨店・本店のあたりだったそうで、子犬の頃から時々渋谷駅まで送り迎えしていたのだそうな・・・。


ところが1925年5月に上野氏が教室内で倒れ急逝。その後ハチは居場所を転々とした後、富ヶ谷に住む上野邸出入りの植木職人・小林菊三郎氏に預けられました。


小林宅から亡き主人を迎えに渋谷駅に現れるハチの様子を、日本犬保存会の斉藤弘吉氏が1932年10月7日付けの朝日新聞に「いとしや老犬物語」として寄稿。


この記事によりハチは一躍有名になり、以来人々から「ハチ公」と呼ばれ、かわいがられるようになったそうです。(渋谷駅近くの焼き鳥屋の主人がかわいがって焼き鳥を与えていたそうで、一説ではハチはこれを目当てに渋谷駅に現れた・・・と言われています。が、ここではその説は信じないことにしましょうネ。)あせあせ


1934年1月に「忠犬ハチ公銅像建設趣意書」が作られ、募金が開始されます。 そして同年4月に彫刻家・安藤照氏によりハチ公像が制作されました。

            忠犬ハチ公


除幕式にはハチ自身も出席、他に300人もの著名人が出席したそうです。


しかしその翌年3月8日、ハチは渋谷駅近くの路地で死去。享年13でした。


ハチの告別式は渋谷駅で盛大に行われ、僧侶も読経をするなど人間さながらの葬儀だったようです。


ハチの遺骨は分骨され、飼い主だった上野氏が眠る青山霊園内の墓地の隣に葬られました。



一方ハチ公の銅像も、その後は残念ながら“安泰”とは行きませんでした。


太平洋戦争末期には金属資源不足により供出され、終戦前日の1945年8月14日に浜松工機部で哀れにも熔かされてしまい、後に機関車の部品となって東海道線を走ることとなったそうです。


その後1948年8月に、安藤照氏の息子・士氏によりハチ公像が再建されました。


当時は駅前広場の中央に北向きに鎮座していましたが、1989年に広場拡張のため場所を移動、東向きに修正され現在に至っています。

私たちは、今後2度とハチ公像が熔かされることにならないよう、またハチの忠義を忘れないようにしなくてはいけませんネ。犬 ワン!






こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10088492388.html?frm=themeより引用させて頂いております。