撃 沈

2008-06-07 07:05:25
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今から66年前・・・1942(昭和17)年6月5日から7日までの3日間、太平洋の真ん中で日米両軍の死闘が繰り広げられました。


・・・世にいう『ミッドウェー海戦』であります。


結果は日本海軍の惨敗に終わり、この海戦で大打撃を被った日本軍はこれ以降急速に太平洋での制海・制空権を失い、敗戦へと大きく戦局が傾くこととなりました。


この海戦の詳細についてここでは論じませんが、私なりに当時の日米両軍の状況について簡単に比較してみたいと思います。


アメリカ軍は既に日本軍の暗号を解読しており、ミッドウェーを攻撃することを察知し待ち構えたいたが、日本軍はその事実を知らなかった。


パイロットの操縦技術は日本軍が優秀であったが、アメリカ軍は既にレーダーを装備しており日本軍の位置を的確に把握していたのに対し、日本軍は目視での偵察のみであり、アメリカ軍の位置の把握が不完全であった。


日本軍空母部隊司令官・南雲忠一中将は元来水雷戦術畑の軍人で、空母・航空機の知識は殆どなく、単なる年功序列でポストに就いた人物

 一方アメリカ軍の司令官・スプルーアンス少将は巡洋艦の一艦長であったが、ハルゼー中将が彼の冷静沈着な性格と高い状況判断能力を評価し、自らの後任に抜擢した人物であった。


アメリカ軍空母にはスプリンクラー装置が装備され、早期の消火活動が可能だったが、日本軍空母には装備ナシ。


等々・・・。


            ミッドウェー海戦

           逃げまどう空母・赤城(『太平洋戦争アメリカ海軍作戦史』より)


不十分な偵察情報等により指令本部が混乱をきたし、航空機の搭載爆弾を急遽陸用爆弾から魚雷に交換させる指示を出したが、その作業のまっ最中にアメリカ軍の急降下爆撃を受け、空母は甲板に投げ出された自軍の爆弾・ガソリンに引火、大打撃を被る結果を招いてしまいます。


結局日本軍は航空母艦4・巡洋艦1の沈没に対し、アメリカ軍は航空母艦1・巡洋艦1の沈没に留まり、戦死者に至っては日本軍3,000名超に対しアメリカ軍300余名と、圧倒的な損失を被ったのでした。


後世、この搭載爆弾の交換を運命の5分間』と称し、「もしこの交換がなければ日本軍が勝利した」と論じる方もいるようです。


・・・がしかし、日米における


情報収集・分析能力


リスク管理能力


トップの指揮・判断能力


の差を冷静に判断すれば、その「もしも」は事後推測の域を出ず、勝敗は戦う前から既に決していたといえるのではないでしょうか。うー


これって、現在のビジネス界での競争においても全く同じ要素が勝敗のカギを握っていると思えてなりません。


おまけにこの海戦の戦績について、大本営は天皇や国民に「アメリカ軍の空母ホーネット・エンタープライズを撃沈、味方の損害は空母一隻・重巡洋艦一隻沈没、空母一隻大破」とウソの発表を行い、これ以降こうした(ウソにウソを重ねる如く)虚偽の発表が終戦まで続くことになるのです。


これも、虚偽の発表を行った後に次々と不祥事が発覚して、「お詫び会見」を何度も開いて国民の失笑や怒りを向けられるような企業の末路を暗示しているといえましょう。


私たちは歴史を謙虚に学び、『過去の苦い失敗』を繰り返す愚は避けたいものです。笑3


太平洋に散った、3,000余の英霊に・・・敬礼! /(`´)




こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10100254774.html?frm=themeより引用させて頂いております。