日本分断

あれからもう四半世紀・・・昭和オヤジには、隔世の感があります。

若い方は実感がないと思いますが、第二次世界大戦終結後の20世紀後半・・・世界は長らく米ソを中心とした〝東西冷戦〟の時代が続きました。

その象徴といえるのが、

 ベルリンの壁

ベルリン市は東ドイツ領内のほぼ真ん中に位置しており、ドイツ本土同様第二次大戦終結後は米・英・仏・ソの4ヶ国による分割統治となりました。


まもなく東西冷戦に突入すると、1948年6月からソ連はベルリンへの生活物資の搬入を遮断、西側諸国はこれに対抗して生活物資を空輸。


そして東西ドイツに分かれた後の1961年8月、東ドイツが突如東西ベルリンを結ぶ68の道路全てを閉鎖。


更に有刺鉄線で壁の建設を開始・・・以後順次壁はコンクリート製に作り変えられ、1975年に総延長155kmに及ぶ〝ベルリンの壁〟が完成したのです。


これにより西ベルリンは、空路や東ベルリンに停車しない直通列車により西ドイツと行き来ができるとはいえ、東ドイツ内の〝陸の孤島〟に。


以後1989年の崩壊までに、西ベルリンに亡命を企て成功した者は5,000名を越える一方で、狙撃され死亡した東ベルリン住民は192名に上ったそうです。


もう20年近くも経ったとは、とても思えないのですが・・・1989年11月9日は、あの『ベルリンの壁』が事実上崩壊した日でした。

壁の上によじ登った群衆が歓声の中ツルハシを振り上げ、壁を壊す映像をご記憶の方も多いと思います。

この日を境に、ドイツを含む各国の予想を上回るスピードで東西ドイツの再統一を為し得る大きな分岐点となったのでした。

ともすると『ベルリンの壁』って、東西ドイツの国境と同じだと思いがちなんですが、実は全くの別物なんです。

元来ベルリンは東ドイツ領内のほぼ真ん中に位置しており、ドイツ本土同様、ベルリン市も米・英・仏・ソの4ヶ国による分割統治となりました。


まもなく東西冷戦に突入、1948年6月からソ連はベルリンへの生活物資の搬入を遮断、西側諸国はこれに対抗して生活物資を空輸。


そして東西ドイツに分かれた後の1961年8月、東ドイツは突如東西ベルリンを結ぶ68の道路全てを閉鎖、有刺鉄線により壁の建設を開始し、以後順次壁はコンクリート製に作り変えられ、1975年に総延長155kmに及ぶ『ベルリンの壁』が完成したのです。


これにより西ベルリンは、空路や東ベルリンに停車しない直通列車により西ドイツと行き来ができるとはいえ、東ドイツ内の〝陸の孤島〟となったのです。() 


ドイツ分割
ベルリンの壁


ところで皆さん・・・。


上図の4ヶ国分割統治・・・実は終戦後の日本でも同じような分割統治案があったことをご存知ですか?驚き顔 エッ


 ◆ 北海道・東北・・・・・・・・ソ 連

 ◆ 関東・甲信越・・・・・・・・アメリカ

 ◆ 近 畿・・・・・・・・・・・・・・アメリカ・中 国

 ◆ 四 国・・・・・・・・・・・・・・中 国

 ◆ 九州・中国地方・・・・・・イギリス

 ◆ 東京23区を4ヶ国で共同統治

・・・これ、まるっきりドイツと同じ構図です。


もし、太平洋戦争で本土決戦・連合軍の上陸を許すまで日本軍が降伏しなかったら?

我が国は連合軍の領地分捕り合戦の草刈場と化し・・・今頃嘗ての東西ドイツ、そして現在の韓国・北朝鮮の如く、宮城県境・〝白河の関〟辺りが日本における「38度線」(?)となり・・・

南北あるいは東西日本に分断されて大和民族同士が敵対・緊張状態に置かれ、東京23区の半分が高い壁に囲まれた〝陸の孤島〟になる可能性があったのです。


歴史に〝もしも〟は禁句ですが・・・背筋が寒くなりませんか?



            





このベルリンの壁の崩壊は、周辺の東側諸国が次々に民主化に向かう中、ソ連に見放されたホーネッカー議長の失脚により弱体化した政府が浮き足立ち、「旅券の規制緩和」政令を即時発行する旨の発言をTV生中継の記者会見でしてしまい、それを見た東ベルリン市民らが国境ゲート付近に集結。


その凄まじい勢いに混乱した警備隊が、なし崩し的にゲートを開放したことが発端だったとか・・・。


この崩壊をキッカケにして、翌1990年10月3日、ドイツは悲願の東西統一を成し遂げたのです。


こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10154291116.html?frm=themeより引用させて頂いております。