赤ん坊

星野ジャパン、初戦のキューバ戦を拙攻で落とし、どうなることかと心配しましたが・・・その後は連勝!扇子

心配していた上原投手も復調しているようですし、3・4番のクリーンアップにも当たりが出てきました。

きっとダルビッシュ投手の〝五輪(?)刈り〟がチームに気合を入れたのかも。メラメラ

さぁ、これからが楽しみですビックリマーク

          野球ボール     野球ボール     野球ボール     野球ボール

さて、野球といえば・・・今日・8月16日はアメリカ野球界〝永遠のヒーロー〟の命日に当たります。

ジョージ・ハーマン・ルース(George Herman Ruth)・・・そう、あのベーブ・ルースです。

1895年、メリーランド州サウス・ボルチモアに生まれたルースは、相当な悪ガキだったようで、両親の手に負えなくなった彼は矯正学校に送られ、そこで出会ったマシアス神父から初めてベース・ボールを教えてもらったそうです。

(※彼は生涯マシアス神父を恩師と仰いだとか・・・。)

1914年、19歳の時にプロ野球選手として契約した彼。

ホームラン・バッターとして有名なベーブ・ルースですが、実は当初ピッチャー登録だったんですョ目

そして驚くべきは、投手として残した生涯成績が163試合登板、通算94勝、防御率2.28という立派なもので、入団から4年間は投手としてのみ試合に出ていたのです。

もし1年目から野手兼任で全試合に出場していたら・・・ホームラン記録は更に伸びていた可能性が十分あったかもしれませんネ。

しかし皮肉なことに、野手に専念するようになってから、体型はどんどん腹回りが大きくなってしまったようですが・・・。冷や汗

           ベーブ・ルース


しばらくレッドソックスで活躍したルースでしたが、球団経営が苦しくなったため、1920年1月3日に負債の肩代わりとしてヤンキースにトレードされました。

これがその後長らくレッドソックスがワールドシリーズに勝てなくなった失敗トレードと言われ、“バンビーノの呪い” と揶揄されることとなります。

逆にヤンキースはその後観客数が激増し、新球場を建設できるほどの余裕ができたとか。あせあせ

それまでは投手戦が中心で、犠打などで地味に点を取っていく試合が多かった中、豪快なホームランで華やかな試合運びが好まれるようになっていく中、ルースはまさにヤンキース、いや大リーグの救世主であったといえましょう。

しかし、およそ「練習」とか「節制」とは無縁の生活を続けたルース・・・当時の78回転のレコード・レーベルを読めた 驚き顔 という驚異的な動体視力をはじめ、並外れた身体能力のみで714本ものホームランをかっ飛ばす・・・まさに古き良き時代のベースボール・ヒーローでした。

病弱な少年を持つ両親が、何とか元気になってもらうため、無理を承知でルースに見舞ってもらうべく球団に依頼したところ、ルースは快く病室まで見舞いに訪れ、オマケにその日ホームランを打つ約束をし、実際に第4打席でホームランを打った・・・という逸話は有名です。

後年、この少年は奇跡的に回復、立派な青年となって再びルースと面会したそうです。しかしその時、逆にルースはそれまでの不摂生がたたって病気がちの時だったとか・・・。

1935年、40歳で現役を引退。

1948年6月13日にヤンキースタジアムで行われた、自らの背番号〝3〟の永久欠番セレモニーに、医師に支えられながら出席したのが観客に見せた最後の姿となり、それから僅か2ヵ月後の8月16日、53歳の若さで亡くなったのです。


やんちゃな〝ベーブ〟


    まさしく、記録にも記憶にも残る名選手でした。笑3



こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10123448326.html?frm=themeより引用させて頂いております。