
邂 逅
多分皆さんの中にも経験がある方がいらっしゃると思いますが、私にも時に「アレッ?」って・・・第六感というか、肩をポンッと叩かれる瞬間を感じる時があります。
昨日も、久しぶりでそんなことがありました。
実はワタクシ、大学時代に準硬式野球の全日本選抜メンバーに幸運にも選出され、ブラジルに遠征したことがありまして・・・。(もう30年近く前の話ですけどネ)
ご存知のように、ブラジルといえばサッカー王国なのですが、多くの日本人が移民として入植した国でもあり、日系2世・3世の方々の中では、野球が盛んになりつつある時期でした。
翌年にアマチュア野球の世界大会があり、ブラジルが南米代表として出場することになったため、日本に「自分達のレベルを知るために、アマチュア野球チームを派遣してほしい」という要請があったことから、学生野球界にお鉢が回ってきたわけです。
今はもう存在しない、懐かしきPAN-AM航空に乗り、ニューヨーク経由で片道約27時間のフライト、機内食を5回も食べた大移動でサンパウロ入り。
各地を転戦して12試合を消化した約2週間の遠征は、貴重な体験の連続でした。
山国・長野で生まれ育った私にとって、何処までも地平線が続く大地をひたすらバスで走り続ける旅は、ある意味人生観を変えた・・・といってもいいくらいでした。
(この『ブラジル遠征珍道中』の中身は、今後機会があればご披露したいと思います。・・・けどねェ、結構書けないエピソードが多いんですょネェ。)
馴れぬ土地での強行スケジュールの中、大変に気を使っていただき、サポートをして下さったのが、サンパウロ在住の弁護士・西 功(にし いさお)氏でした。(↓)
(写真中央の2人 左・ナベ 右・西さん) (写真右がワタクシ 若くて細いこと!)
いつもニコニコ穏やかなオジさん(失礼)で、ブラジル気質(?)そのままの大らかな人柄は、私たちを大いに和ませて下さいました。
私は遠征中、何故か西氏と話す機会が多く、現地スタッフの中で今もって記憶にあるのは、西氏一人だけなのです。(他の関係者の皆さん、すみません!)
遠征を終え、帰国した後は西氏との接点は全く途絶えてしまい、現在に至っていたのです。
ところが最近、「パルパロおやじ」さんの
“パルパロブログ” <http://ameblo.jp/titoparupalo
>
でブラジル関係の記事を拝読する機会があり、久々に当時の事を思い出すキッカケとなりました。
「そういえば西さん・・・まだお元気なのかなぁ?」
・・・そして何故か昨日、急に西氏のことが気になって、どうしても知りたくなったのです。
(※上の写真も、約20年ぶりでアルバム引っ張り出して、懐かしく見た中の2枚です。)
インターネットの威力ってスゴいですね。 情報がありました。
しかし、私が見つけた現地・日伯新聞の記事は・・・。
『弁護士・西功氏 2006年6月1日に脳溢血のため死亡 76歳』
・・・残念ながら亡くなられていたのです。
しかも今日がちょうど三回忌当日。
『これは単なる偶然なのだろうか・・・?』
西氏は、私たちの遠征後もブラジル野球界の発展に大変な功績を残されたようです。
パウリスタ野球連盟会長を長く務められ、その後もブラジル野球連盟会長や南米アマ野球連盟終身名誉会長も歴任された由。
最近では有望選手が日本プロ野球界に入ってくる程レベルが上がってきたブラジル野球界。西氏はさぞ多大な貢献をされたことでしょう。
そして、ブラジル野球界の発展に・・・ほんの少しでも私たちの遠征がお役に立っていたのならば、本当に嬉しい限りのですが・・・。
「ナベちゃん、ありがとうなぁ~。
時々はブラジルのこと・・・思い出してくれョ~。 Tchau!」
西氏の明るい笑い声が、地球の裏側から聞こえてきそうです。
西さん、その節は大変お世話になりました。
遥か遠き日本より
心からご冥福をお祈り致します。 (-人-)合掌。
こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10099060457.html?frm=themeより引用させて頂いております。

