頓 智

2008-11-21 07:05:25
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皆さんは〝頓智〟・・・「とんち」といったら、ナニを連想しますか?

やっぱり『一休さん』ですかネ。

今日・11月21日は、その一休宗純和尚の命日に当たるのです。

一休さんは明徳5年元旦(1394年2月1日)生まれ。

父は南朝方から神器を受け取り、南北朝統一の象徴となった北朝の後小松天皇。 母は藤原一族、日野中納言の娘・伊予の局(つぼね)でした。

一休さんを身篭った伊予の局は、皇位の継承権を妬んだ人々の謀略により「南朝方と通じている」と誹謗されて宮廷を追われることとなり、嵯峨の民家でひっそり一休を産んだそうです。

そして我が子が政争に巻き込まれぬよう、5歳になった息子を臨済宗安国寺に入れ出家させました。

彼は漢詩の才能に優れ、17歳で謙翁和尚の弟子となって「宗純」と戒名を改めますが・・・師匠を余程慕っていたようで、20歳の時謙翁和尚が遷化すると、それを悲観して瀬田川への入水自殺未遂を起こしたそうです。

その後京都・大徳寺の華叟(かそう)禅師に師事。 24歳の時に、

有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)に帰る 一休み

                 雨ふらば降れ 風ふかば吹け〟

と謳ったことから、師より『一休』という道号を授かりました。

そして26際の時、カラスの鳴き声を聞いて大悟するも、華叟禅師からの印可を拒否、以後の一休和尚は様々な奇行伝説を残しています。

それにしても、実際の和尚とマンガの一休さん・・・かなりキャラが違うみたいですネ。あせあせ

   一休宗純
  一休さん

    <紙本淡彩一休和尚像>          <一休さん>

長年にわたって権力と距離を置き、野僧として清貧生活を送っていた一休和尚は80歳の時、天皇の勅命により戦乱で炎上した大徳寺の復興を任されます。

そこで一休和尚が向かったのは豪商が集まる堺。 貿易が盛んで自由な空気の堺では、「破戒僧」一休和尚の人気は絶大でした。

「一休和尚に頼まれて、どうして断わることが出来ようか。」

商人、武士、茶人、庶民までが我れ先にと寄進し莫大な資金が集まったおかげで、5年後に大徳寺法堂が落成したそうです。

文明13年11月21日(1481年12月12日)、なんとマラリアが原因で遷化。

当時としては珍しい、88歳の長寿でした。

臨終の間際に残した最後の言葉が、「死にとうない!」だったとか。

破戒僧・一休宗純の面目躍如といえましょう。(私、こういう人間臭い話は大好きでして・・・。)

ちなみに、人気アニメでお馴染みの一休さんの〝とんち話〟ですが・・・これは一休和尚没後200年程経った江戸時代、1668年頃に京都で刊行された『一休咄』という作者不詳のネタ本(?)が元になっているそうです。

ですから、一休和尚の逸話がどこまで本当なのかは分かりません(でも、「しんえもんさん」こと蜷川新右衛門は、実在の弟子だったそうです)が、あの「とんち」はいつ見ても思わずニンマリ・・・ですょネ。笑2




こちらの記事はhttps://ameblo.jp/warmheart2003/entry-10157264334.html?frm=themeより引用させて頂いております。