経営者として・・・ いろいろと学ぶことが多いインタビューです。

さらにもう一つ。原田武夫です。

SANYOというブランドが昔ありました。
「海外で有名なんだよ、日本のだけれども」
そう父親から習いましたかね、あの頃。

銀行、しかも投資銀行から狙われるとこうなるのですよ。
専横的な経営体制だと一度入るとなんでもやれますからね。
中に不信感が渦巻いていて、これを上手につかっていく。

経営者として・・・
いろいろと学ぶことが多いインタビューです。
創業者の「次」の世代は実に難しい。

http://www.sankeibiz.jp/…/ne…/150510/bsb1505101713002-n1.htm

 

さらにもう一つ。原田武夫です。SANYOというブランドが昔ありました。「海外で有名なんだよ、日本のだけれども」そう父親から習いましたかね、あの頃。銀行、しかも投資銀行から狙われるとこうなるのですよ。専横的な経営体制だと一度入る…

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)さんの投稿 2015年5月10日日曜日


 

三洋電機元会長「銀行にだまされたほうが悪い」 往年の名経営者の面影なく

2015.5.10 17:13

井植敏氏

 大手総合家電メーカーの一角を占めた三洋電機が4月で事実上、消滅した。直轄事業の売却を終え、全社員は親会社のパナソニックに転籍、法人格を残すだけとなった。この機に社長、会長として栄光と挫折を経験した井植敏氏(83)の自宅への夜回り取材を試みたところ、「関係ない」「忘れた」と繰り返し、往年の名経営者の面影はなかった。ただ、銀行については「だまされたとしても、だまされたほうが悪い」と語り、浅からぬ恩讐を浮き彫りにした。(松岡達郎)

 なにわのジャック・ウェルチ

 初めに井植敏氏について説明しておく。創業者の井植歳男氏の長男で、昭和31年に三洋に入社、テレビ事業本部長として米国のテレビ工場を買収するなど積極的な仕事が注目を集め、61年に社長に就任した人物だ。会長時代を含め20年にわたり三洋の経営トップとして君臨した。

 三洋の多角化戦略を主導し、家電に加えて金融などにも事業分野を拡大するとともに、半導体などへの大規模投資を打ち出し、16年3月期の連結売上高は2兆5千億円に上った。米ゼネラル・エレクトリック(GE)の当時の経営者の名前にあやかって「なにわのジャック・ウェルチ」と呼ばれたこともあった。

 ところが、ITバブルの崩壊後、総花経営があだとなり業績が悪化し、16年10月の新潟県中越地震で半導体工場の被災が予想以上に大きく、それを機に経営危機が表面化した。17年3月期は1700億円超、翌18年3月期は2千億円超の最終赤字を計上した。

 ある元三洋社員は「すべて地震で経営危機に陥ったといわれるが、もっと前から家電事業が不振になっていて実際の社内は火の車。それが地震で一気に表にでたということ」と振りかえる。

 17年に会長から代表取締役兼取締役会議長に就任。その際、長男の敏雅氏を社長に引き上げ、会長兼CEO(最高経営責任者)に元ニュースキャスターの野中ともよ氏を起用。サプライズ人事は注目されたが、批判の声も強かった。

 銀行の管理下へ

 最後の直轄事業の売却が発表され、三洋“消滅”がカウントダウンに入った3月下旬、兵庫県内の井植邸を訪ねた。呼び鈴を押すと邸内に招き入れられ、わずかな時間だが、井植敏氏と話をすることができた。

 いまの所感を聞くと「忘れた」「言うことは何もない」と繰り返した。

 経営で何がいけなかったのかと聞いた。

 すると、おもむろに強い口調になり、「銀行にだまされたって言わせたいんやろ。だまされていないし、だまされたとしても、だまされたほうが悪い。それが資本主義や」と語った。

 これについては補足する必要がある。

 経営危機が深刻になった18年、三洋は、主力取引行の三井住友銀行や、米ゴールドマン・サックスなど金融3社を引受先として計3千億円の優先株を発行し、資本を増強した。

 ただ、これで、普通株換算では発行済み株式の約7割(議決権ベース)を握られることになり、一定期間が経つと、1株70円で普通株に転換できる優先株は「屈辱的なダンピング」(関係者)ともいわれた。

 実は、井植氏は別の証券会社を引き受け先とする3千億円の転換社債の発行を画策したことがある。金融3社にデューデリジェンス(資産評価)のコストと違約金などを払えば、転換社債の選択肢はあったが、結局は実現しなかった。そして井植氏は19年に経営の一線から退いた。

 ここで主力取引銀行側から「悪いようにしない」と懐柔されたなどの話が残されている。井植氏も後に著書で主力行への恨み節を書いたこともあるが、三洋の消滅に至っては「だまされたほうが悪い」という心境になっていたということだろう。

 ライバルの軍門

 その後、三洋は金融3社の監督下で経営再建を進めたが、20年のリーマン・ショックを機に情勢が一変した。金融3社側は利益を見込めるうちに三洋株を手放す意向を強めたのだ。国内外のメーカーが売却先の候補として検討されたが、パナソニックが受け皿に決定した。21年にパナソニックに買収され、23年には完全子会社となった。

 井植氏の父親の井植歳男氏は、義兄の松下幸之助氏の右腕としてパナソニック(旧・松下電器産業)の成長を支えてきたが、戦後に退社して三洋を創業。その後、三洋の社員らはパナソニックにライバル意識を持ちながら家電事業を展開してきた。

 その軍門に下ることに対し、井植氏は、5年前の産経新聞のインタビューでは「ライバルと思って必死で競争してきた相手。私よりも現場で戦ってきた人たちにとって何とも言えない気持ちだろう。しかし、それが最善の道ならばそうせざるを得ない。社員が路頭に迷うことは避けなければならない」と複雑な胸中をのぞかせた。

 それが今回の取材では、パナソニック傘下に入ったことについて聞くと「知らない。関係ない。思い出したくもない。もう何年前のことや」と答えを拒んだ。

 それとは別に記者は、パナソニックによる買収が決定した際にも井植氏を夜回り取材したことがある。そのときは「金融3社が優先株を取得し、7割を握られた後では、私にどうできるものではない」と答えていた。そのことを確認すると「そうやったかな。忘れた」とした。

 井植氏にとって、金融3社の出資を受け入れた時点で勝負がついたということだろう。「だまされたほうが悪い」という自嘲ともいえる言葉がすべてを象徴していると思えた。

 三洋の元社員たちについて「元気で活躍していることを祈っている」と語ったことだけが救いだった。

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